前回(→こちら)の続き。
1990年、第3期竜王戦は谷川浩司王位・王座が3連勝した後、羽生善治竜王がひとつ返して、第5局に突入(第1回は→こちらから)。
第4局の結果は、のちに両者とも「大きかった」というものとなる。
ここで、4タテか4勝1敗かで、歴史は大きく分かれることとなったかもしれないというのだ。
もっとも、それはあくまで
「長い目で見れば」
という10年、20年単位くらいの話。
勝った谷川本人も認めるように、このころはまだ、実力的に差があったのだから、
「そこまでしなくても」
という気持ちになるのも自然だろう。
それは将棋を観れば一目瞭然で、谷川の強さは際立っていた。
むかえた第5局。
後手番になった羽生は意表の四間飛車で挑み、前局とは打って変わって、中盤から激しいなぐり合いに突入。
羽生はこの将棋、勢いで負けてはいけないと決めていたのだろう、かなり積極的な手が目立った。
中盤の局面。先手が、▲67金と飛車に当てたところ。
自然に指すなら、△36飛と軽く回って、まったり戦う。
それが振り飛車らしい呼吸か、と思われたが、羽生はここが勝負どころと、牙をむくのである。
飛車をバッサリと斬り落として、玉頭から一気におそいかかる。
駒損の攻めで強引に見えるが、天守閣美濃の最急所を突いており、先手も相当に怖い形。
谷川も恐れず、▲64桂と打って攻め合いに突入。
おたがいが最強の攻撃手を連発する、まさにケンカ上等の応酬だ。
難解な形勢ながら、中盤以降は谷川がリードを奪っていたよう。
羽生も必死に食いつくが、正しく指せば先手が勝てそうな流れだ。
むかえた最終盤。
先手の谷川が▲64角と金を取り、羽生が△同角と取り返した局面。
先手陣はかなりせまられているが、まだ後手に戦力が足りない感じ。
ここでラッシュをかけられれば、先手が勝つが、▲52竜と取るのは△25角が激烈な返し技。
どうやって攻めるか注目だったが、ここでまさに「前進流」「光速の寄せ」の権化のような手が飛び出す。
▲52竜と、それでも取るのが、谷川浩司の将棋。
思わず、
「いやだから、角打たれるゆーてるやん!」
なんて関西のファンなら頭をかかえそうなところ。
だが、必殺のはずの△25角は、これがなんと先手玉の詰めろになっておらず不許可なのだ。
本譜はここで▲71銀と打って、△93玉に▲72竜と必至をかける。
そこで、△69角成と飛びこんでも、▲98玉で大丈夫。
▲71銀、△93玉、▲72竜から単に△69角成ではなく、△76金、▲同玉、△75銀、▲67玉、△66銀上、▲78玉、△69角成。
手順を尽くして追っても、取ってくれれば頭金だが、▲89玉と落ちて不詰。
ここで羽生が投了。
先手玉は危険ではあるが、丁寧に読めば詰まないことはハッキリしているので、見た目より差がついている局面なのだ。
とはいえ、こんな角を打たせて勝つ、というのが信じられない。
「踏みこんで勝ちですけど、わざわざこんなことする必要もないから、もうちょっと安全な順を選びたいですね」
テレビやネットの中継なら間違いなく解説者が、こんなことを言うであろう場面なのだ。
それをこの見切り。谷川はまさに「あえて、こんな角を打たせて勝つ」男なのだ。
強すぎる。もう「どや」感がすごい。なにかもう、
「浩司、抱いてくれよ……」
なんて、つぶやきたくなる、鮮烈さではないか。
この将棋の谷川について、若き日の先崎学九段が書いている(改行引用者)。
さて、肝心の将棋の内容だが、これは、一言でまとめると谷川浩司の名局だった。
谷川さんの指し手には淀みがなく、全体を通して勢いと”気”に満ちあふれていた。
見ていて、惚れ惚れするような、それでいて狂暴さにあふれているような物凄い強さだった。
それともうひとつ、当時話題になったのは羽生が△25角と打ったこと。
いや、この手自体は自然であり、負けを認めた「形作り」ともいえるわけだが(すごい形作りだけどネ……)、素直にこの手を選んだのが、らしくないというのだ。
控室の検討では、△74角と打って、ねばる順を選ぶのではと言われていた。
そうやっても後手負けどころか、下手するともっと差が開いて、ボロボロにされるだろう。
ハッキリ言って、形も作れない、なぶり殺しにあう可能性が高い。
だが、それこそが、当時の羽生将棋の持ち味だったのだ。
敗勢の局面で、ただキレイに斬られることをせず、むしろより局面を悪化させるような手を放ってくる。
その「クソねばり」としか言いようのない、カオスな手と局面を駆使し、ワケのわからない領域に相手を引きずりこんで、ついには信じられないような、逆転勝ちにたどり着く。
それが、若手時代の羽生善治だったはずなのだ。
だからこそ、「美しく散る」△25角を選んだのが、意外といわれた。
これは華麗だが、勝機がまったくない手だからである。
「羽生四段」なら、絶対にこの手は指さなかったろうし、また相手が格下、あるいはまだ読み切れてなかったり、フルえたりしているのがわかったら、やはり△74角など
「正着ではないが、局面を混沌とさせる手」
を指したにちがいない。
それで批判されることもあったが、こういう手で勝ちまくったから「20歳の羽生竜王」があるのも事実だ。
つまり△25角を打ったのは、相手から間違える雰囲気がなかったから。
「シャッポを脱いだ」手であり、谷川の
「形を作らせてあげるから、角を打ちなさい」
という導きに、素直に従ったことになる。
そのことからも、
「このころは谷川のほうが強かった」
ことを明確にあらわしている。
羽生に観念させた。
その意味でも、やはりこのシリーズは、谷川浩司の圧勝だった。
この勝ちっぷりを見れば、谷川浩司の
「タイトル獲得27期」
というのに違和感を感じる、私の気持ちが、わかっていただけるのではないか。
谷川と羽生、そのどちらもが手の流れからもはっきりと
「谷川のほうが強い」
と認めている。少なくとも、このころは。
「羽生時代」が来るのを疑う者はいないが、谷川のこの強さを見ると、もう少し時間がかかるかな……。
そう思わされたものだが、その予想はものの見事にハズれた。
羽生の爆発は周囲が思うよりも早く、そしてその威力もすさまじかった。
それを誘発したのは、やはり谷川浩司とのタイトル戦。
舞台は同じく竜王戦で、この2年後のことだった。