「前進流」と「光速の寄せ」 谷川浩司vs羽生善治 1990年 第3期竜王戦 その4

2020年01月12日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1990年、第3期竜王戦谷川浩司王位王座3連勝した後、羽生善治竜王がひとつ返して、第5局に突入(第1回は→こちらから)。

 第4局の結果は、のちに両者とも「大きかった」というものとなる。

 ここで、4タテ4勝1敗かで、歴史は大きく分かれることとなったかもしれないというのだ。

 もっとも、それはあくまで

 

 「長い目で見れば」

 

 という10年20年単位くらいの話。

 勝った谷川本人も認めるように、このころはまだ、実力的にがあったのだから、

 

 「そこまでしなくても」

 

 という気持ちになるのも自然だろう。

 それは将棋を観れば一目瞭然で、谷川の強さは際立っていた。

 むかえた第5局

 後手番になった羽生は意表の四間飛車で挑み、前局とは打って変わって、中盤から激しいなぐり合いに突入。

 羽生はこの将棋、勢いで負けてはいけないと決めていたのだろう、かなり積極的な手が目立った。

 中盤の局面。先手が、▲67金と飛車に当てたところ。

 

 

 自然に指すなら、△36飛と軽く回って、まったり戦う。

 それが振り飛車らしい呼吸か、と思われたが、羽生はここが勝負どころと、牙をむくのである。

 

 

 

 

 
 △67同飛成、▲同銀、△56歩、▲同銀、△75歩

 飛車をバッサリと斬り落として、玉頭から一気におそいかかる。

 駒損の攻めで強引に見えるが、天守閣美濃の最急所を突いており、先手も相当に怖い形。

 谷川も恐れず、▲64桂と打って攻め合いに突入。

 おたがいが最強の攻撃手を連発する、まさにケンカ上等の応酬だ。

 難解な形勢ながら、中盤以降は谷川リードを奪っていたよう。

 羽生も必死に食いつくが、正しく指せば先手が勝てそうな流れだ。

 むかえた最終盤。

 

 

 

 先手の谷川が▲64角を取り、羽生が△同角と取り返した局面。

 先手陣はかなりせまられているが、まだ後手に戦力が足りない感じ。

 ここでラッシュをかけられれば、先手が勝つが、▲52竜と取るのは△25角が激烈な返し技。

 どうやって攻めるか注目だったが、ここでまさに「前進流」「光速の寄せ」の権化のような手が飛び出す。

 
 

 

 

 

 ▲52竜と、それでも取るのが、谷川浩司の将棋。

 思わず、

 

 「いやだから、角打たれるゆーてるやん!」

 

 なんて関西のファンなら頭をかかえそうなところ。

 だが、必殺のはずの△25角は、これがなんと先手玉の詰めろになっておらず不許可なのだ。

 

 

 

 本譜はここで▲71銀と打って、△93玉▲72竜必至をかける。

  そこで、△69角成と飛びこんでも、▲98玉で大丈夫。

 

 

 

 ▲71銀△93玉▲72竜から単に△69角成ではなく△76金、▲同玉、△75銀、▲67玉、△66銀上、▲78玉、△69角成。

 手順を尽くして追っても、取ってくれれば頭金だが、▲89玉と落ちて不詰

 

 

 

 ここで羽生が投了

 先手玉は危険ではあるが、丁寧に読めば詰まないことはハッキリしているので、見た目より差がついている局面なのだ。

 とはいえ、こんな角を打たせて勝つ、というのが信じられない。

 

 「踏みこんで勝ちですけど、わざわざこんなことする必要もないから、もうちょっと安全な順を選びたいですね」

 

 テレビやネットの中継なら間違いなく解説者が、こんなことを言うであろう場面なのだ。

 それをこの見切り。谷川はまさに「あえて、こんな角を打たせて勝つ」男なのだ。

 強すぎる。もう「どや」感がすごい。なにかもう、

 

 「浩司、抱いてくれよ……」

 

 なんて、つぶやきたくなる、鮮烈さではないか。

 この将棋の谷川について、若き日の先崎学九段が書いている(改行引用者)。

 


 さて、肝心の将棋の内容だが、これは、一言でまとめると谷川浩司の名局だった。

 谷川さんの指し手には淀みがなく、全体を通して勢いと”気”に満ちあふれていた。

 見ていて、惚れ惚れするような、それでいて狂暴さにあふれているような物凄い強さだった。


 

 それともうひとつ、当時話題になったのは羽生が△25角と打ったこと。

 いや、この手自体は自然であり、負けを認めた「形作り」ともいえるわけだが(すごい形作りだけどネ……)、素直にこの手を選んだのが、らしくないというのだ。

 控室の検討では、△74角と打って、ねばる順を選ぶのではと言われていた。

 

 

 

 

 そうやっても後手負けどころか、下手するともっと差が開いて、ボロボロにされるだろう。

 ハッキリ言って、形も作れない、なぶり殺しにあう可能性が高い。

 だが、それこそが、当時の羽生将棋の持ち味だったのだ。

 敗勢の局面で、ただキレイに斬られることをせず、むしろより局面を悪化させるような手を放ってくる。

 その「クソねばり」としか言いようのない、カオスな手と局面を駆使し、ワケのわからない領域に相手を引きずりこんで、ついには信じられないような、逆転勝ちにたどり着く。

 それが、若手時代の羽生善治だったはずなのだ。

 だからこそ、「美しく散る」△25角を選んだのが、意外といわれた。

 これは華麗だが、勝機がまったくない手だからである。

 「羽生四段」なら、絶対にこの手は指さなかったろうし、また相手が格下、あるいはまだ読み切れてなかったり、フルえたりしているのがわかったら、やはり△74角など

 

 「正着ではないが、局面を混沌とさせる手」

 

 を指したにちがいない。

 それで批判されることもあったが、こういう手で勝ちまくったから「20歳羽生竜王」があるのも事実だ。

 つまり△25角を打ったのは、相手から間違える雰囲気がなかったから。

 「シャッポを脱いだ」手であり、谷川の

 

 「形を作らせてあげるから、角を打ちなさい」

 

 という導きに、素直に従ったことになる。

 そのことからも、

 「このころは谷川のほうが強かった

 ことを明確にあらわしている。

 羽生に観念させた。

 その意味でも、やはりこのシリーズは、谷川浩司の圧勝だった。

 この勝ちっぷりを見れば、谷川浩司の

 「タイトル獲得27期」

 というのに違和感を感じる、私の気持ちが、わかっていただけるのではないか。

 谷川と羽生、そのどちらもが手の流れからもはっきりと

 「谷川のほうが強い

 と認めている。少なくとも、このころは。

 「羽生時代」が来るのを疑う者はいないが、谷川のこの強さを見ると、もう少し時間がかかるかな……。

 そう思わされたものだが、その予想はものの見事にハズれた。

 羽生の爆発は周囲が思うよりも早く、そしてその威力もすさまじかった。

 それを誘発したのは、やはり谷川浩司とのタイトル戦。

 舞台は同じく竜王戦で、この2年後のことだった。

 

  (続く→こちら

 

  

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