勝負の世界を盛り上げるのに、ライバルの存在というのは必須である。
前回は羽生善治王座が藤井猛竜王に喰らわせた「驚異の一手パス」を紹介したが(→こちら)、今回もまた羽生と宿敵の歴史を。
谷川浩司九段のタイトル27期というのは、ちょっとありえない数字だ。
将棋の世界でタイトルというのは、1期でも取れれば十分一流だが、その上のレベルだと、さらにどれだけ上乗せできるかが、実力の証となる。
羽生善治九段の99期を頂点に、大山康晴十五世名人の80期。
中原誠十六世名人の64期と来て、次が27期の谷川浩司九段。
3位と4位の間が、ずいぶん空いていている。
これが個人的感覚では、ものすごい違和感のある差で、谷川の力をもってすれば最低50期。
いや、場合によっては中原の数字を追い抜いても、おかしくないはずなのである。
これに関しては、
「まあ、羽生さんがいた時代だからなあ」
というのは、皆さまも感じるところであろう。
テニス界の「ビッグ4」が、君臨する時代を見ればわかるが、
「最強の選手(とその同世代)と時代が重なる」
これは、アスリートの悲劇のひとつなのだ。
ただ「それにしても……」と感じてしまうのは、谷川と羽生の、最初のタイトル戦の印象が強かったから。
羽生は前期、島朗竜王を破って初タイトルを獲得。
いよいよ「羽生時代」到来かと期待させたが、そのために倒さなければならないのは、谷川浩司である。
今でこそ、羽生こそが「将棋の神様に愛された男」というあつかいだが、デビュー前から破格の存在とされ、
「21歳で名人獲得」
という、羽生もなしえなかった偉業を達成。
「選ばれし者」の華を振りまきまくっていた谷川も、また「神の子」のひとりだった。
私の予想では互角か、やや谷川有利と見ていた。
このころの谷川は好調で、その勢いは相当ではないかと思ったからだ。
たとえば、挑戦者決定戦の将棋を観てみよう。
相手は悲願のタイトル戦出場をかけた、石田和雄八段。
石田九段といえば、今では高見泰地七段や佐々木勇気七段のお師匠さんで有名だが、若いころは「岡崎の天才」と呼ばれ、その筋のよさで知られていた。
その将棋はまさに「正統派」「本格派」であり、将棋ファンの友人と綺麗な将棋を指したければ、
「矢倉なら石田和雄、四間飛車は阿部隆」
この2人の棋譜を並べるのが、一番ではと言いあっていたものだが、そんな石田を谷川は寄せつけなかった。
谷川先勝でむかえた、3番勝負の第2局。
相矢倉から先攻した石田に、後手の谷川は金銀の厚みで対抗。
後手は香得しているが、歩切れで玉形にも差があり、むずかしいところ。
手が広く、なにがプラスになるか見えにくい局面のようだが、ここで後手の指した手が印象的だった。
△45香と、ボンヤリこんなところに打つのが、面妖な手。
意味としては盤上に自分の駒を増やし、先手になにもなければボチボチ成香でも作って、飛車を押さえて模様勝ちをねらおう、ということか。
「前進流」「光速の寄せ」を看板にする谷川浩司らしからぬ手で、なんだか丸山忠久九段の将棋みたいだが、
「華麗な終盤力に目をうばわれがちだが、谷川将棋の本質は、意外と地味な好手にある」
というのは、よくいわれることで、これもまた谷川の一面なのだろうか。
こんな手を間に合わされてはバカバカしいと、石田は2枚の桂を駆使して攻めかかり、むかえたこの局面。
△64角の桂取りに、▲73角と合わせたところ。
▲46の桂馬にヒモをつけつつ、△同角なら▲同と、で手順にと金が活用できるが、これが「一手バッタリ」に近い疑問手だった。
先の香打ちと違って、今度こそ谷川「光速の寄せ」が炸裂する。
△72飛とまわるのが、さすがの切れ味。
▲64角成は△78飛成で詰み。
まるで、エースパイロットの操縦する戦闘機のようで、△42から△78へあざやかすぎるアフターバーナーだ。
この手が見えてなかった石田は泣きの涙で▲74歩とつなぐが、よろこんで△73飛と取ってしまう。
▲同歩成に、△76歩と逃げ道をふさぎながら、拠点を作って後手勝勢。
遊んでいた飛車が、手持ちの角と換わるのだから、先手もやる気が失せるというもの。
以下、石田の反撃をしっかりと面倒見て、谷川勝ちとなった。
この将棋を観れば「谷川有利」と言いたくなる気持ちも、わかっていただけると思うが、もちろん相手は天下の羽生善治。
そんな素人の予想通りに、いくわけもないのは当然だろう。
どちらにしろ、皆が望んでいたカードであることは間違いなく、
「勝った方が、ここから棋界をひっぱっていく存在になる」
という将棋界の分岐点に、なるやもしれない大勝負で、熱戦が期待されたが、あにはからんや。
七番勝負の序盤は、こちらの思いもかけない展開を見せるのである。
(続く→こちら)