谷川浩司と、羽生善治の分岐点は、1990年代初頭にあった。
1990年、第3期竜王戦は、次の将棋界を牽引する「王者」を決定する対戦と言われていた。
結果は前回(→こちら)までのように、谷川浩司王位・王座が、羽生善治竜王を4勝1敗と、スコア的にも内容的にも圧倒し終了した。
いつか羽生時代が来るのは間違いないが、そこに立ちはだかるのは、やはり谷川浩司。
その意味では、緒戦で「一発カマした」のは見事なものだが、羽生もやられっぱなしというわけにはいかず、すぐに態勢を立て直しはじめる。
まず手はじめに、棋王戦で勝ち上がって挑戦者になり、南芳一棋王から3勝1敗で奪取。
竜王以外のタイトルを初めて獲得し、無冠の時期をわずか4か月で終わらせる。
あっという間の復活劇で、棋王はここから12連覇することになるのだから、「羽生時代」は早くも、ここから始まったといっていいだろう。
一方、谷川浩司のほうも充実しており、王座こそ福崎文吾に奪われたものの、王位戦は中田宏樹、竜王戦では森下卓という、手強いところを押さえて防衛。
さらには棋聖戦と王将戦では、ともに「花の55年組」南芳一を破って、これで竜王・棋聖・王位・王将の四冠王に。
特に羽生と森下という、「次世代王者候補」をしりぞけての四冠だから、印象もより強かった。
その後、郷田真隆に王位を奪われるが(郷田は四段でのタイトル獲得で話題になった)、それでも時代は谷川浩司がリードしていたことは、疑いがないところだったのだ。
そんな谷川と羽生は、またも竜王戦で激突することとなる。
前回は、まだ実績と経験で谷川が上回っており、羽生も初めての防衛戦ということで「次があるさ」ですむところもあったが、ここはそうもいくまい。
谷川は三冠王、羽生は福崎文吾から、王座を奪っての二冠王で、真の頂上決戦。
今度こそ「勝った方が最強」の称号を得る戦いで、今でいえば、まさに豊島将之か渡辺明と、藤井聡太がタイトル戦で戦うような大決戦なのだ。
このシリーズが、少し重なって行われた棋王戦と合わせて、あとあとから見れば両者の明暗を分けることとなった。
七番勝負の前半は谷川がリードした。
第1局では「△57桂」「△68銀」という、羽生も気づかなかった絶妙手2発で挑戦者を沈める(→こちらの1局目参照)。
続く第2局も、千日手で後手番になりながらも、またも、あざやかなラッシュを見せる。
6筋から仕掛けた後手だが、駒損なうえに先手の馬も強力で、攻めもギリギリに見える。
こういう場面こそ、谷川浩司の腕の見せ所。
ここから一気の攻撃で、羽生陣を攻略してしまう。
△66飛、▲同銀、△65銀が「前進流」の強烈なパンチ。
一見強引なようだが、「玉飛接近すべからず」の先手はこれで受けが難しい。
▲同銀左、△同桂に、▲同銀は△67銀や△77歩といった、わかりやすい攻めでまいってしまうから▲69香とふんばる。
そこで△77歩とたたいて、▲同銀、△同桂成、▲同飛、△95角。
まさに蝶のように舞い、蜂のように刺す華麗な攻撃で、先手はサンドバッグ状態。
その後、羽生も必死にねばり(ギリギリまで手を探してのことだろう「▲41飛不成」という手を指したりしている)、最後は逆転のチャンスさえあったようだが、残念ながら、モノにできなかった。
これで谷川が2連勝するが、羽生も2シリーズ連続で3連敗スタートはゆるされないと、第3局は力を見せる。
相矢倉から、今度は谷川の攻めをしっかりと受け止めた羽生が、反撃に出る。
最終盤、後手の攻めが角2枚のみで、
「3枚の攻めは切れるが、4枚の攻めは切れない」
この格言でいくと後手が苦戦のようだが、ここに見事な決め手がある。
△57金が「光速の寄せ」のお株を奪う、とどめの一撃。
▲同飛は△67歩成で、▲同銀は△57角成。
▲67同飛は△66歩で、どちらも飛車を取られて寄り。
本譜の▲57同銀に△67歩成と食い破って、後手陣は飛車の横利きが、値千金の守備力を誇っており明確な一手勝ち。
押され気味だった流れをいったんはせき止めて、なんとか踏んばった。
谷川の2勝1敗で、次は第4局。
この将棋が、後に谷川本人が認めるほどに大きな一番となる。
タイトル獲得が羽生の99期に谷川の27期と、大きく開いてしまう原因となるのだが、途中までは、そんなことを思わせない好調ぶりを見せつける。
またも相矢倉から、先手の羽生が「▲46銀・▲37桂」型に組むが、後手はそれを見事に受け止めて、攻めを頓挫させる。
むかえたこの局面。
形勢は後手の谷川が有利。
先手は少し駒得だが、桂香が9筋で変な形だし、飛車を持たれて△47のと金も大きい。
次の一手が問題だった。
ここで後手に指したい手があり、△45桂と跳ねるのが好感触。
▲34歩と責められそうな桂を逃げながら、攻撃に参加できる、一石二鳥のなんとも味のいい手である。
具体的には、▲81馬なら△57桂成として、▲72馬、△67成桂、▲同金、△69飛で勝ち。
他の手でも似たりよったりで、後手は優位を持続でき、おそらくは谷川が押し切ったであろう。
それで3勝1敗。
まだ決まっていないとはいえ、このキレッキレの谷川相手に3連勝というのは、いかな羽生といえどもキツイのは間違いない。
かなり迫ってはいるものの、まだ羽生も届かないかと思わされたが、ここで谷川はまさかという失着を指してしまう。
そのことで完勝ペースだった将棋を、いやさその後長く続く、羽生善治との戦いの歯車すら狂わせてしまうのだ。
(続く→こちら)