「ポカ」の生まれるメカニズムとは不可思議である。
前回は丸山忠久九段の「意味のない手」と、それを見た先崎学九段のメッセージを紹介したが(→こちら)、今回は軽快なさばきと信じられない「一手ばったり」をセットで。
将棋にはウッカリがつきもので、どんな強豪棋士でもやらかしてしまうものだが、「なぜそうなるのか」というのは、よくわからないところもある。
難解な局面で秒読みに追われてとか、心身が消耗してとか、油断したとか、そういったケースならわかるが、ときになんのプレッシャーもないのにミスしてしまったり。
さらには、それまで会心の指しまわしを見せていたのに、なぜか着地だけスッテンコロリンとか、「理由なき犯行」が出現すると、見ている方も首をひねることになるのだ。
1989年の王位戦。加藤一二三九段と羽生善治六段の一戦。
後手の羽生が角道をとめるノーマル中飛車を選ぶと、加藤はこの形になると得意としている袖飛車で、3筋をねらう攻めを敢行。
後手が「美濃に囲って△45ポン」(なんてのも今では聞かないなあ)でさばこうとして、むかえたのがこの局面。
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▲41角の両取りが決まっているが、もちろんこれは後手の読み筋で、きれいな返し技がある。
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△65角と打つのが、まさに「八方にらみの角」。
上下あざやかに利いており、
「振り飛車党は角の使い方がうまい」
とよくいわれるけど、その見本のような一手。
まさに「史上最強のオールラウンダー」羽生善治の、面目躍如たる局面だ。
これで先手の攻め足は止まっている。▲52角成と取って、△38角成の攻め合いに、▲61馬、△同銀、▲41飛。
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銀の両取りがかかっているが、次の手がピッタリ。
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△43角と打って、きれいに受かっている。
どこまでいっても、羽生に好調な手が続くやりとりとなっているのだ。
そうして、後手優勢でむかえた終盤戦。
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加藤も手順をつくして後手玉にせまり、ここでは▲71角からの一手スキがかかっている。
一方、先手陣はまだ一手の余裕があり、受け方によってはまだむずかしそうだが、ここで手筋がある。
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△92玉が、しのぎの筋。
「玉の早逃げ八手の得」
のようなものだが、これで先手はカナ駒が、1枚半くらい足りない形。
筋に明るい方は▲82銀という手が見えたかもしれないが、これには△同玉と取って、▲71角、△92玉、▲72金。
これで必至のようだが、そこで△88銀と王手して、▲86玉に△84飛、▲75玉、△74銀、▲64玉、△65銀と追う。
▲63玉に△27馬と、こちらに使って王手するのが視野の広い好手。
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ちょっとむずかしい手順だが、こうなれば▲52玉、△72馬で要の金が抜けて後手勝ち。
▲54金とムリヤリ受けても、△同銀、▲62玉、△26馬、▲51玉に△71馬と角をはずして、先手はすべての戦力を失い、みじめになるだけ。
なので加藤は駒を渡さず、単に▲72金とせまる。
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▲93銀から美濃囲い攻略のお手本の詰めろだが、これにもお返しの手筋がある。
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△71銀と打つのが、しのぎの手筋第2弾。
▲同金しかないが、これで一手スキが解除され、後手の勝ちが決まった。
……はずなのだが、ここで羽生が△57と、としたのが、当然に見えて一手バッタリの大悪手だった。
加藤は、すかさず▲63角と打ちつけるが、これが典型的な「詰めろのがれの詰めろ」。
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△88銀、▲86玉、△84飛、▲85銀の合駒に、△同飛、▲同玉、△74馬の詰みを防ぎながら、▲81角成からの詰めろに受けがない。
アッという大逆転劇だが、なぜこうなるのか、よくわからないところはある。
△57と、は一言でいえばウッカリだが、それにしたってそれまでの指しまわしは振り飛車の教科書にのせたくなるような会心譜で、どこにも乱れる余地などないからだ。
まさに一瞬のエアポケット。「天才」羽生善治にも、こういうことが起こるのである。
ちなみに、△57と、では△89竜と取って、これが△88竜からの簡単な詰めろ。
▲66角が「詰めろのがれの詰めろ」の返し技だが、これには△75桂と打つのが、中村修七段推奨の
「詰めろのがれの詰めろのがれの必至」
で、あざやかに後手勝ち。
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華々しいようだが、中村や羽生のようなトップクラスなら射程圏内の手順で、やはりこれを逃したのがおかしな感じだ。
羽生は▲63角を見て、それ以上指さずに投了。
もはや後手に勝ちがないとはいえ、これまたアッサリしたもの。
さしもの羽生も、あまりのあっけない幕切れに、自分でもバカバカしくなったのかもしれない。
(藤井聡太「二冠」と谷川浩司「二冠」の比較編は→こちら)