リアル「友達をなくす手」 行方尚史vs藤井猛 2012年 第70期B級1組順位戦

2021年05月17日 | 将棋・好手 妙手

 「これは辛い手ですねえ」

 解説者が感嘆したり苦笑したりするのは、将棋の終盤戦でよく見る光景である。

 将棋というゲームは王様を詰ませれば勝ちだが、局面によっては一気に攻めかかるよりも、「辛い手」を出した方が、結果的に早く勝てるというケースが結構ある。

 前回は若き日の森内俊之九段と、佐藤康光九段の熱戦を紹介したが(→こちら)、今回は手だけでなくシチュエーションも「辛い」将棋を紹介したい。

 

 2012年、第70期B級1組順位戦で、藤井猛九段は試練にさらされていた。

 前期、10年定着していたA級から陥落し、出直しとなったB1でも、開幕6連敗という絶不調に見舞われていたのだ。

 陥落の憂き目にあったとはいえ、

 

 「藤井なら、1期ですぐ戻るだろう」

 

 そう予想されていただけに、まさかといったところだが、そこはさすが、トップ棋士の底力。

 急ブレーキをかけて、そこから3連勝と星を戻していく。

 だが悪い流れは完全には止まりきらず、そこからさらに2つ黒星を食らって3勝8敗で最終戦に。

 これに負けると即陥落で、仮に勝っても、競争相手の鈴木大介八段に勝たれると、やはり落ちてしまう。

 そうなれば、悪夢の2期連続降級

 A級棋士が、たった2年でB2まで落ちてしまうのだから、不調の波というのはおそろしいものである。

 剣が峰の藤井は、最終戦で行方尚史八段と戦うことに。

 これがまた組み合わせの妙というか、藤井と行方とは、ふだんは仲の良い間柄で、最近では文春のインタビュー記事にもなっている(→こちら)。

 行方といえば、その鋭い終盤力や、ねばり強さとともに語られるのが

 「振り飛車破りの達人」

 であることだが、それは藤井相手に山ほど、対抗形のスパーリングを積んだから、といわれているのだ。

 

 

 2002年の銀河戦における、行方-藤井戦。

 ▲45桂の「富沢キック」(かつて富沢幹雄八段が得意とした「飛び蹴り」とも言われる奇襲)を、藤井は軽視していた。

 以下、△同歩に▲33角成、△同桂、▲24歩から飛車先を破って、難解ながら先手ペース。

 

 

 また、この2人の順位戦には因縁があり、数年前に行方はA級に昇級するも、2勝7敗という成績で「日帰り」を余儀なくされた。

 このとき、8回戦で行方に引導を渡したのが、藤井猛の振り飛車穴熊であったが、数年後には立場逆転しての勝負。

 

 2012年のA級順位戦。

 行方は負ければ即降級で、藤井も勝たないと、わずかながら落ちる目がある大一番。

 ▲85桂と跳んだのが疑問で、ここは▲94歩、△同歩を入れてから、▲85桂打なら熱戦が続いていた。

 単に▲85桂だと後手陣にアヤがついていないし、▲77の桂がいなくなることで、先手陣がうすくなりすぎている。

 以下、△58角成、▲同金、△48竜、▲同銀、△49角、▲57金、△67香成と猛攻をかけて、後手勝ち。 

 

 

 まさに「血涙の一戦」で、戦型は藤井が角交換振り飛車から、ふたたび穴熊にもぐると、行方もまた「あのとき」と同じく銀冠に組む。

 途中、藤井は指せると見ていたようだが、実際は難解だったようで、行方がリードを奪って終盤戦へ。

 

 2枚飛車が強力で行方が優勢。

 ただ後手もを引きつけ、金底もあって、まだ攻略に時間がかかるかもしれない。

 一目は▲71銀のような手だが、△76桂と打たれるのも怖い形。

 それでも勝ちだが、ここで行方が選んだ手が、まさに「激辛」だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲77歩と、急がず自陣に手を入れる。

 これで後手から速い攻めがなく、あとは、敵陣のと金を活用していけば、自然に勝ちが転がりこんでくる。

 困った藤井は、△72金右と割打ちを防ぐが、次の手がまたエグイ。

 

 

 

 

 

 ▲87銀と、さらに補強するのが、激辛を超えたデスソース。

 絶対に負けませんという手で、行方の強い意志を感じる。

 そういえば行方の師匠は、大山康晴十五世名人だったなあとか、そんなことを思い起こさせる、トドメの一撃だ。

 最後に残された、望みの綱ともいえる△76桂を消すだけでなく、強靭な銀冠まで再生して、これで後手に指す手がない。

 力なく△74桂と打つが、▲44飛成△64銀▲42と△65銀▲64香で藤井投了。

 文字通りの

 

 「友だちをなくす手」

 

 で地獄に落とされた藤井だが、

 

 「落ちたら、何度でも上がればいい」

 

 力強く宣言して、翌年のB2順位戦では、昇級候補の筆頭だった豊島将之に快勝するなど、9勝1敗で、見事に1期での復帰を達成する。

 また、このころB1に定着してしまった感のあった行方も、なにかが吹っ切れたのか、翌年には11勝1敗のぶっちぎりで、A級カムバック。

 それどころか、A級2期目には名人挑戦を果たすなど、大爆発を見せてくれたのだった。

 

 (羽生善治と大山康晴の異筋の角編に続く→こちら

 (藤井猛がA級から叩き落とされた将棋は→こちら

 

 

コメント
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