郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 名人戦 編

2024年04月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 続いては名人戦

 ここはA級順位戦というリーグ戦だから、挑戦者決定戦もなく、そこをどうとるかが問題。

 2007年第65期名人戦と、2009年第67期名人戦に挑戦者として出場しているから、2勝0敗ということでもいいが、逆に

 

 「勝ってれば名人挑戦だったのに」

 

 という敗戦があったかどうかがわからないし、調べるのがめんどいので「0敗」かどうかはわからない。

 まあ、とりあえずここでは2勝0敗ということにして話を進めるが、本番の七番勝負では勝てなかった。

 とはいえ、2007年森内俊之名人に、2009年羽生善治名人にどちらもフルセットまで行っており、「郷田名人」の可能性は十分すぎるほどあった。

 特に2007年は「永世名人」のかかった森内に2勝3敗カド番から「50年に1度の大逆転」を喰らわせてフルセットに持ちこむという、ドラマチックな戦いを披露。

 しかも、最終局で先手番を引くという大チャンスだったが、大熱戦の末敗れてしまったのは残念だった。

 

 

 

 その名人戦の最終局

 森内勝勢のところから郷田が決死のねばりで喰いつき、ここでは控室も「またも逆転か!」と色めきだっていた。

 駒が、特に先手陣の桂香の利きがゴチャゴチャしてややこしく、

 


 「むずかしすぎる」

 「これが詰将棋だったら、考える気もしない」


 

 検討陣も悲鳴をあげるほど。

 しかも、次の手がまたスゴイのだ。

 

 

 

 

 

 ▲73銀と捨てるのが、名人への執念を込めた郷田渾身の勝負手。

 △同金▲85桂と取る手が、▲31角△22歩▲23角成△同玉▲22角成以下の「詰めろ逃れの詰めろ」になるのだ!

 あまりの難解さと郷田の迫力に、さすがの森内もパニックになったが、ここで冷静に△83と引いて耐えていた。

 ▲23角成△同玉▲84金(!)という根性のしがみつきにも、△59角と打つのが冷静だったよう。

 

 

 

 

 と言っても、やはりメチャクチャな駒の配置で理解は不能だが、これで△66竜と取る手や、が入れば△76金で詰む形になり、どうやら決まったようだ。

 角切りを強要して、後手玉が安全になったのも大きい。

 ▲75銀△84飛と取って、▲同銀引不成△76金まで郷田が投了

 「森内俊之十八世名人」が誕生した。

 郷田も強かったが、森内の超人的な落ち着きが印象的なシリーズだった。

 

 2009年の名人戦も、第5局で羽生の横歩取りを完全に封じ、3勝2敗とリードを奪ったときには、

 

 「まあ、郷田は一回は名人になるべき男やもんな」

 

 ひとりごちたものだが、そこから逆転されてしまい、またも悲願ならず。

 

 

 

 図はそのシリーズ第5局

 横歩取りの激しい切り合いから、羽生が△27飛とおろしたところ。

 ふつうは▲28歩しか見えないところで、△25飛成から、じっくりした戦いになりそうだが、次の手が「お見事」という着想だった。

 

 

  

 2筋を受けずに▲23歩と、ここにタラしたのがキビシイ手だった。

 次に▲22歩成△同金▲42角打から詰まされてしまうが、これを受けるうまい手がない。

 △52歩と受けるしかないが、そこで▲75馬飛車取りに逃げられるのがピッタリで先手絶好調。

 △44飛と逃げるしかないが、▲82歩△同銀を一発利かして▲18角が気持ちよすぎるクリーンヒット。

 

 

 

 

 郷田の見事な指しまわしに戦意喪失したのか、羽生はその後、ねばることもできずに土俵の外にたたきだされた。

 ただ、そこから勝つのがこのころの羽生や森内相手だと大変なことで、第6局第7局に敗れた郷田は、あと一歩のところで、またしても名人を獲得ならず。

 このころの森内と羽生は、名人戦で強かったなあ。

 格やその王道的棋風からも「郷田名人」はしっくりくるんだけど、なかなかうまくいかないものである。

 また郷田はA級順位戦で何度か「4勝5敗降級」という目にも合っている。

 深浦康市九段も似たようなことになっているが、彼らが実力とくらべて実績的に歯がゆいのは、こういうハードラックのせいでもあるのだろう。

 

 ☆名人戦(プレーオフ) 2勝0敗

 

 (続く

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