棋聖戦第1局は山崎隆之の完敗だった。
ということで、前回は、山ちゃんの三段時代の偏りすぎた成績を紹介したが、今日はプロデビュー後の活躍について。
難関リーグを5期こそかかったものの卒業し、
「あの大器がついに」
鳴り物入りでのデビューを果たした山崎隆之四段。
事実、プロになってから山崎は各棋戦で高勝率を上げ、順位戦ではC2こそ6期も足踏みしたものの、C1とB2は2期で順調にクリアしB級1組へ。
トーナメント戦でも、新人王戦で2度優勝(相手は北浜健介六段と佐藤紳哉五段)。
早指し新鋭戦でも、北浜健介六段を破って優勝を飾る。
また、NHK杯では羽生善治名人を破って全棋士参加のビッグトーナメントを制覇し、こちらは敗れたとはいえ(相手はまたも羽生善治)朝日オープンでも決勝に進出。
そんじょそこらの新人とは、モノがちがうことを見せつけていった。
ただ正直、見ている方としては、ちょっと物足りないところはあり、それがタイトル戦になかなか出てくれなかったこと。
当時は30年近く続くことになる「羽生世代」独裁のただなかだから、そう簡単ではないわけだが、そんな中チャンスがやってきたのが2009年。
第57期王座戦で、挑戦者決定戦まで勝ち上がってきたのだ。
決勝で待ち受けるのは、こちらも初のタイトル戦登場を目指す中川大輔七段。
どちらもA級、タイトルを張っていてもおかしくない実力なのに、なかなかその壁を越えられないというところに共通点があったが、特に山崎には期するものがあったそう。
というのも、このころの中川は理事職に就いており、その「二刀流」で多忙な日々を送っていた。
会長時代の佐藤康光九段が、研究できるのが「本番の対局だけ」とその多忙さを語っていたが(てか、なんで現役棋士に会長や理事をやらせるんだ?)、中川もまた同じような境遇。
山崎からすれば、
「将棋に専念していられる自分が、理事の仕事に追われている中川先生に負けたら、ふだんなにをやっているのかと、なってしまう」
というプライドもあって、相当に気合が入っていたらしいのだ。
そんな2人の戦いは、期待通りの大熱戦になる。
戦型は先手になった山崎が相掛かりから、得意の▲36銀型を選択。
図はその銀を棒銀として、ずいっとくり出したところだが、次の手が中川らしいと言われた強い手だった。
△33桂と跳ねるのが、「中川流」の一着。
角道を二重に止める形になってしまい、ふつうは筋悪としたものだが、こういうゆがんだ形を苦にしないのが中川将棋だ。
少し進んで△14歩の局面で、後手のねらいがわかる。
桂跳ねで使えない角は、△13角とこっちから使う。
また△54金と、守りの金を中央にくり出して行くのも、これまたいかにも中川好みの一着。
空手マスターであり、「登山研」で山も登るという体力派の男に、こうも振りかぶられると相当な圧力である。
かつて『将棋世界』に掲載された、私の大好きな1枚。
あまりのステキさに、当時作っていた文芸同人誌の表紙に使わせてもらったもの。
友人にも大ウケで、一時期仲間内でこの画像のアイコラや「写真で一言」など「中川先生大喜利」が大流行した。
もちろん、山崎だって負けてない。
銀の速攻は封じられたようだが、それはあくまで「見せ球」。
むしろ、それで相手に悪形を強いることが、ねらいだったりする。
あとは銀を転進させ中央で使っていく。このゴチャゴチャした「屈伸戦法」こそが、山崎の持ち味でもあるのだ。