前回の続き。
山崎隆之七段が、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)に挑戦した2009年、第57期王座戦五番勝負は、羽生の2連勝で第3局に突入。
後手の羽生が横歩を取らせると、山崎は自らが考案した新戦法「新山崎流」をぶつけてきた。
まさに両者の想いが合致した「直球勝負」は中盤の難所を迎える。
羽生が▲23歩のタタキに△33銀と、桂馬の利きに逃げる工夫を見せたが、山崎も▲85飛と好手で対応。
このあたり、両者とも好感触で指し進めているようだが、ここで次の手がまたも驚嘆を誘った。
△44銀と上がったのが、控室の検討陣も再度ビックリの新手。
なんでも、この対局の5日前に研究会で△33銀までは検討されていて、羽生もそれを観戦していたという。
だが、△33銀は指せても、次の△44銀はまったく言及されず、研究会で△33銀を指した飯島栄治六段は
「脱帽です」
先手を持って指していた村山慈明五段も
「羽生さんらしい柔軟な手。全然、気付きませんでした」
次にきびしいねらいがあるわけでなく、2筋の守りもうすくなって、下手すると1手パスのよう。
そもそも、△33銀と上がったからには、▲33桂不成とさせて桂馬の入手をはかりたいのかと思いきや、そうでもない。
この真意の見えないフワッとした、フェザータッチが羽生将棋だ。
こういう手を防衛のかかった一番で、しかも本家本元の山崎隆之に仕掛けてくるのが、なんとも大胆ではないか。
羽生がこのように、あえて相手の土俵で戦おうとするのは、おそらく2つの意図があって、ひとつは谷川浩司九段もう言う「好奇心」。
もうひとつは、本人がどこまで意識してやってるかは不明だが、「つぶし」が入っているはず。
クリエイター型の棋士が必死で研究し、斬新な新手新戦法をぶつけても、下手すると初見でそれに対応し、アッサリと勝ってしまう。
それだけでもショックなのに、羽生はよく次の対局などで、今度は逆の立場をもって挑んでくることがある。
「自分の得意型」でせまられたうえに、それでもまた負かされ、
「あれれ~? おかしいなあ~。キミが考えたはずの戦法なのに、なぜかボクの方がうまく使えるみたいだね。なんでだろうね?」
コナン君みたいに、盤上でそんなことを言われた日には、私だったら立ち直れません。
羽生からすれば、
「指されてみて有力そうだから、一度やってみたかった」
という自然な発想かもしれないが(羽生の口から何度もきいたセリフだ)、やられた方はたまったものではない。
イジメか! 人の心を傷つけやがって! 一回コンプライアンス研修受けてこい!
そういえば、かつて真部一男九段が、こんなことを言っていた。
「羽生と大山は同じことをやっている」
大山康晴十五世名人といえば、その圧倒的強さに加えて、様々な「盤外戦術」も駆使。
相手に徹底的な「敗北感」を味あわせ、その後の対戦でも力を発揮できないよう精神的ダメージをあたえてきた。
羽生は大山のようなアクの強いことはやらないが、盤上での無邪気とも言える冷酷さは、恐怖をあたえるという意味では、かつての大名人と変わらないと真部は言う。
「おまえはもう勝てない」「すべての努力はムダになるだけ」ということを「理解」させるのが、大山(羽生)流の戦い方。大山は「確信犯」で羽生は「天然」という説。
この「新山崎流」の戦いも、山崎からすれば自分のフィールドで戦えるありがたさとともに、
「ここを突破されたら」
というプレッシャーとも戦わなければならないのだ。
ちなみに、羽生はこの約半年後、名人戦で三浦弘行八段相手に、今度は先手番側を持って戦い勝っている。
どっちもっても強いんかい!
対戦相手からすれば、ホントに勘弁してほしいところだろう。
羽生の新手にグラついたのか、山崎は早くも敗着を指してしまう。
△44銀に▲65桂は角を活用して自然だが、そこで△29飛。
惜しむらくは次の手で、山崎の王座戦は、終わりを告げることとなるのだ。
(続く)