前回(→こちら)の続き。
演劇、お笑い、ライブ問わず、
「客には女の子(もしくはお年寄りでもファミリーでも)を入れろ。男は一歩たりとも中に入れるな」
という、南アフリカ共和国のアパルトヘイト並みの人種隔離政策を奨励する私。
これは私が狭量な差別主義者だからではなく、仲間内老若男女問わずみなが提言していたことなのだ。
理由は簡単で、
「とにかく、男どもは反応が悪い」
楽しむことに素直な女子とくらべて、男子は固い、打っても響かない。ちっとも笑ってくれない。
なぜか。これまた理由は簡単で、特に私の住む大阪では
「男は全員、自分は笑いのセンスがあると思いこんでいる」
だからピクリとも反応してくれないのだ。
そらそうであろう。彼らはみな大なり小なり「オレっておもしろい」「笑いの才能がある」と、なんの根拠もなく思いこんでいる。
こういう人が客席に来ると、どういった態度をとるか。
まず大部分は「上から目線」で来ることがある。
当然であろう、彼らは「おもしろい」に関しては「優越者」なのだから、我々のような
「センスのない下々」
に対して、対等な目線でなど接するわけがない。
舞台に出た瞬間、こういう男子はすぐにわかる。
たいていが偉そうに胸をそらし、足を組んだり頭の後ろに両手をやったりして、うすら笑いを浮かべている。
その顔には、でっかい文字でこう書いてあるのだ。
「さあ、キミたち凡人諸君は今からセンスの塊であるオレ様で、どのような愉快な出し物を見せてくれるのかな」
まったくもって、おまえはどこの局のプロデューサー様や!
とつっこみたくなるが、それくらい超キングでエンペラーなオーラをバリバリでのぞんでくるわけだ。根拠もないのに。
その様はあたかも、剣闘士がライオンに食われるのを楽しむ、ローマの皇帝のごときである。メチャメチャえらそうなのだ。根拠もないのに。
こうなると、もはや問題はウケるとかすべるではない。あきらかに彼らは「ジャッジ」しにくるわけ。「オレ様が認めてやれるものか、そうでないか」を。で、宣言するのだ
「少々のことでは、オレ様は笑わんで」
しつこいようだが、根拠もないのに。
こんな態度で来られたら、もうどないしたって良い反応なんていただけない。笛吹けど踊らず。
そういう人が「オレってお前らとは違うんだぜ」オーラを出してすわってると、客席の雰囲気も悪くなる。「なんだこの人?」「イタタタタ……」って。ある意味、マイルドなフーリガンだ。
「もう、お金払うから帰って」と言いたくなる。嗚呼、ここは地獄だ。
舞台でスベるのはつらいが、この「オレ様」君の存在はもっとキツイ。
失敗した公演は自業自得だけど、最初から最後までマジノ線のごときかたくなな、「拒否モード」をつらぬき通されると、とにかく絶望的な気分になる。
なぜにてこんな不幸が起こるのかといえば、こと笑いに関しては関西の男子は「勝ち負け」「マウンティング」「スクールカースト」といった要素が、かかわってくることだ。
「コイツはオレより、おもろいかどうか」
というのは、関西男子のカーストに大きな影響をおよぼすのだ。
もちろん、大半は若気の至り的錯覚だが(私だって思い当たるところありまくりですよ、ええ)、自意識の面ではそうなのである。
そんな面々にとって、笑いは勝ち負け。笑かせば勝ちだが、笑わされるというのは大いなる屈辱なのだ。
そのことを実感したのは高校時代、クラスの人気者であったマツダ君のおかげだった。
(続く→こちら)