「ピラミッドが登れなくなって、残念っスよねえ」
エジプトの首都カイロの安宿で、そんなことを言ったのは日本人旅行者センリ君であった。
話の発端は、宿で仲良くなった日本人旅行者同士で話をしていたときのこと。その中のひとりが、こんな提案をしたのである。
「みんなで、ピラミッド登頂にチャレンジしませんか」
バカと煙は高いところが好きというが、高いところがあれば上りたくなるというのは人情というもの。
ましてやそれが、世界一有名な観光地ともいえるギザのピラミッドとなれば、特にうましか者でなくとも、やってみたくはなるではないか。
ということで、
「いいねえ」
「山頂でピクニックでもしようか」
大いに盛り上がったのだが、ひとつ気になるのは、それがゆるされているのかどうか。
われわれのようなウカレポンチな旅行者が思い浮かぶくらいだから、世間では同じことを考える人が山ほどいるはず。
中にはルールやマナーに無頓着な者もいるだろうし、なにかトラブルでも起こして、
「阿呆の入場を禁ず」
くらいの立て札があっても、おかしくはない。
そこで少し調べてみると、やはりそうであった。
ちょうどそこに帰ってきたセンリ君が、
「あー、それダメっス。ピラミッドは登頂禁止なんスよねえ」
やっぱりねえ。
センリ君がピラミッド事情にくわしかったのは、彼が「サファリホテル」に滞在したことがあったから。
今は閉鎖されてしまったが、一昔前のサファリは日本人旅行者のたまり場であり、それもそこを長年の住処にしているような「猛者」が多かった。
そんなバックパッカーの本拠地のようなところからの情報となれば、これはもう間違いなかろうと、ここにピラミッド登頂計画は頓挫と思われたが、センリ君によると、
「でもねえ、ダメと言われても、いや言われたからこそ、行きたいというヒマ人もいるんスよねえ」。
彼によると、禁止ということになっているが、そんなことで世界のボンクラ旅行者を止めることなどできるはずもなく、主に夜中をねらって世界中から、せっせとあの石のカタマリに挑戦する者が後を絶たないらしい。
もちろん、サファリの面々もそうであり、センリ君は昨年の年末年始に滞在したそうだが、
「おおみそかから登り始めて、ピラミッドのてっぺんで初日の出を見る」
というイベントが開催されており、そこに参加することに。
ただ、もちろんそういう日は守備側もしっかりチェックしており、おまわりに追われながら、あの大ピラミッドを登ったそう。
それはそれでルパンと銭形警部のようで楽しそうだが、これは一応犯罪行為ということで、捕まると割とシャレにならないそう。
良い子はマネしてはいけません。
まあ、私は冒険家ではないので、そこまでして登りたいとも思わないが、これが調べてみると昔は全然ふつうに登れたそうなのである。
エジプト在住経験もある田中真知さんの『アフリカ旅物語』によると、ナポレオンのエジプト遠征についてまとめた本の影響で、ヨーロッパで「エジプトブーム」が起り、多くの旅行者がかの地をおとずれた。
そこでは当然「登りてー」という人も出てくるわけで、エジプト人もそこはビジネスチャンスと、手を引いたり尻をついたりしてお手伝いをしていたそうな。
いわばトレッキング感覚だが、これが20世紀に入ると、そういった案内人たちの間で
「ピラミッド上り下り競争」
が開催され、しかも国王が観戦するほどのイベントだったというから、たいしたもの。
優勝者は傾斜角52度、片道170メートル、201段を7分足らずで往復したというのだから、ちょっとしたアスリートではないか。
ただ、やはり事故も多かったようで、山頂で下を見た瞬間めまいを起こして、あの高さから落下しミンチになったり、その他、登ってる途中で足をすべらせるなどしてバンバン死んでいたらしい。
ということで1960年代には禁止令が出たのだが、それでもやはり、
「やったるで!」
という者は引きも切らず、なぜかそれには日本人が多かった。
真知さんの本にも、やはりサファリホテルのことが書いてあって、「情報ノート」によると、なんと週一の割合でピラミッド・トレッキングが開催されていたとのこと。
しかもそこには、風向きからルートの取り方、さらには官憲に捕まったときの対処法まで記されていていたとか。
まあ、そこまで力を入れれば大したものという気もするが、やはり「捕まる」ことは事実であるようで、良い子はマネしない方が無難であろう。