対局姿が絵になる棋士というのがいる。
斎藤慎太郎八段のような風雅な空気感をかもし出す人もいれば、佐藤天彦九段のような、勝負の苦悩がそのまま動作に出る人もいる。
中でも、もっとも様になる人といえば、やはり谷川浩司九段。
その美しい対局姿勢や、勝っても負けても綺麗な将棋を指すところなどは、まさに将棋界の貴族といえるだろう。
実際、谷川将棋を見ていると、
「ノブレス・オブリージュ」
という単語が思い浮かぶ。
ただ勝つ以上の、なにか大きな「義務感」のようなものを、常に背負って戦っているように見える。
前回は本田小百合女流三段が、加藤桃子女流王座に放てなかった「幻の絶妙手」を紹介したが(→こちら)今回は、今でも多くの棋士があこがれてやまない、谷川浩司の将棋を見ていただこう。
1998年度の第57期A級順位戦は、谷川浩司九段と森内俊之八段がともに7勝1敗(村山聖九段の死去によりこの年は9人のリーグ戦)で並ぶハイレベルなレースとなり、佐藤康光名人への挑戦者決定はプレーオフまで持ち越されることとなった。
後手番の谷川が四間飛車に振ると、森内が穴熊にもぐろうとする前に仕掛け、乱戦模様に持ちこむ。
その動きは無理気味だったようで、自分だけ竜を作った居飛車が必勝になったが、振り飛車もあれやこれやと手を作り、森内の乱れもあって、いつの間にか逆転模様。
そこからも攻め切るか受け切るかギリギリの攻防で、プレーオフにふさわしい好勝負が展開され、むかえたのがこの場面。
先手玉は身動きできず、上下からはさみ撃ちにあって陥落寸前だが、谷川も持駒を使い果たし、あと一矢がない。
どうやって寄せるか、かたずを飲んで見守っていると、ここで「光速の寄せ」が炸裂することになる。
△47飛成と、ここで飛車を捨てるのが「おおー!」と歓声のあがる一着。
▲同金は補充した一歩で、△95歩と打てば詰み。
森内は秒読みの中、この瞬間に▲84角成とするアクロバティックなしのぎを披露する。△同銀に▲47金。
谷川はかまわず△95歩で、▲同銀、△98竜、▲97歩、△95銀に▲85玉ときわどくかわす。
まるで駒落ちの上手のような玉さばきだが、△84銀に▲74玉と必死の逃亡劇。
ここに逃げられるのが、△84の金を排除した効果だ。
最大のライバルが待つ名人挑戦を目前に、森内の見せた執念。
山狩りにあう狼が、血を流しながら最後の望みをかけ、懸命に森を駆け抜ける姿だ。
ここをなんとかすれば、右辺には大草原が広がって、▲11の馬や▲66の桂の利きもあって、とてもつかまらない形だが、そのがんばりもここまでだった。
谷川はすべてを読み切っていたのだから。
先手玉はとっくに詰んでいる。
腕自慢の人は、次の手を考えてみてください。
△56角が、王様の逃げ道を捨駒で埋めつぶすという、詰将棋のようなカッコイイ手筋。
ここで森内が投了。▲同金の一手に、△73銀上以下、簡単な詰みになる。
それにしてもこの人の将棋は、なんでこんなカッコイイ手が、毎度のように飛び出す仕掛けになっているのだろう。
この将棋は、その内容もさることながら、谷川の態度にも感銘を受けた。
名人挑戦をかけた大一番。乱戦模様の難しい将棋に、通るか通らないかのギリギリの攻め、森内の頑強なねばりに、最後も一歩の差がモノをいう微差。
そんな数々のプレッシャーにもかかわらず、まったく対局姿がブレないというか、まるで練習将棋でも指してるかのような落ち着いた雰囲気。
なべても、最後の決め手である、△47飛成を指すときの華麗な手つきよ!
最終盤の、緊張感がピークに達する場面で、ようあんな舞うような手つきで駒を持てまんなあ。私やったら尿ちびってまっせ!
それを、「なにかありましたか?」とでもいいたげな、涼しそうな顔でたたずむ谷川浩司。
もちろん、心の中は興奮でシビれまくってたんでしょうが、それをまったく表に出さずクールな男を演じ切る。
「王者の風格」というのは、ああいうのを言うんでしょうなあ。
そら中村太地七段や、近藤誠也七段もリスペクトを表明するわけや。ホレてまいまっせ、ホンマに。
(米長邦雄の「ゼット」をめぐる攻防編に続く→こちら)
私が生まれて初めて見た将棋の対局は、第36回NHK杯戦の米長邦雄十段と羽生善治四段の一戦なんですが、「初めて見た棋士」は谷川浩司棋王なんですよね。
NHK杯の前にやってる講座を担当していて、タイトルが「大局観が勝負を決める」。
そこで、森安秀光八段との将棋をベースに、対四間飛車の▲46銀型急戦を講義してたんですが、これが今思い出してもなかなかディープな内容でした。
今の感覚だと、ちょっとむずかしすぎるかなーとか思うんですけど、私はマニアックなテーマが好きなので、ビデオに撮って繰り返し見たもの。
おかげで、この時代の▲46銀型急戦に妙にくわしくなってしまって、1988年の第6回全日本プロトーナメント決勝で谷川さんと櫛田陽一四段が戦ったとき、第1局でその形が出て、
「あ、講座でやってたやつやー」
子供心にうれしかったことをおぼえてます。
「谷川将棋を学ぶべき」は私も賛成で、中村太地七段をはじめ、
「きっかけは羽生善治。あこがれるのは谷川浩司」
というパターンはインタビューなどでも、よく聞きます。
そもそも、谷川将棋を見てなにも感じない人など、この世にいないでしょう。
いやマジで、「水曜日のダウンタウン」で、
「谷川浩司にアンチはいても、【谷川将棋】にあこがれない人など0人説」
これを検証してほしいですねえ。
「前進流? 光速の寄せ? 別になにも感じないッスねー」
ていう人いたら、逆にスゴイ!