前回(→こちら)の続き。
2007年の第66期C級2組順位戦。
大内延介九段と、村山慈明四段との一戦。
ここで、その一月前に指された、真部一男八段と豊島将之四段の将棋と、同一局面が出現したのだ。
体調を悪化させていた真部は、次に狙っていた手があったにもかかわらず、ついに指せず、投了せざるを得なかった。
ところが、なんとここで、大内が「幻の一手」と同じ手を盤上に放ったのだ。
△42角と打つのが、真部が指せなかった絶妙手。
パッと見、意味がわからないが、この角がにらんでいる先を見れば、なるほどとうなずくことに。
そう、照準は遠く9筋を見すえている。
次、後手が△92香から△91飛と「スズメ刺し」にすると、この超長距離射撃によって、なんと端の突破を受ける術がない!
▲86角は△64歩と止められて、打った角がヒドイ駒になってしまう。
真部の敬愛する升田幸三九段風にいえば、
「この遠見の角でオワ」。
ただ、この△42角もすばらしいが、むしろ私が紹介したいのは、この手に対する村山の対応だ。
△42角が名手なのは村山も瞬時に察知した。「あらゆる変化が悪い」と。
果たして真部の予想通り、村山は長考に沈んだ。
このままでは圧敗必至。かといって、適当な受けもなければ、攻め合いも望めない。
ならどうするか。
1時間50分(!)もの大長考の末に指した次の手が、色んな意味で感嘆をもたらす一手だった。
▲89銀と引くのが、見たこともないすごい手。
アマチュアのファンは振り飛車党が多いと思うが、序盤の駒組の段階で、▲38から▲29銀と美濃囲いをくずした人など、まずいないであろう。
まさに「わたしが悪うございました」と、すべての失敗を認める手。
人によっては「死んでも指せない」というかもしれないし、それこそ、「美学派」真部が先手なら、絶対に指さなかったろう。
ここからもすごい。△92香に▲78玉と早逃げし、△91飛に▲79角(!)。
端への受け以外にまったく働きのない角を打ち、△95歩、▲同歩、△同香には▲98歩(!)。
とにかく、すべてを屈服で受け入れる。まさに土下座、土下座、また土下座。
なんといわれても、アアもコウもない。こうでもしないと負けてしまうのだから、指すしかない。
昭和のボキャブラリーでいえば、これが「順位戦の手」である。
この一連の手順には、ある種の感動を覚えた。
この△42角と▲89銀の交換というのは、将棋における「ロマン主義」と「リアリズム」の交錯。
将棋の手にこめられた思想には二種類ある。
ひとつは
「将棋とは、良い手を指して勝つものだ」
もうひとつは
「将棋とは、悪手さえ指さなければ簡単には負けない」
△42角と▲89銀は、まさにその象徴。
この2手は、将棋の手が持つエッセンスをギュっと詰めこんだ、非常に「純度の高い」やり取りといえるのではあるまいか。
家宝の鎧で床下浸水を食い止めるような、必死の防戦が実ってか、村山はなんとか急場をしのぎ切り反撃に移る。
一方、大内は「怒涛流」の攻めでせまるが、しぶとさが持ち味の村山に、なかなか決め手をあたえてもらえない。
むかえた、この局面。
村山の攻め駒が重いところなど、いかにも「不利ながらも食いついてます」感バリバリ。
先崎学九段の著書『千駄ヶ谷市場』によると、大内の次の手が良くなかったそうだ。
ただ、これは見ていただければわかるが、先崎も言う通り、
「プロなら誰でもやってみたくなる」
「素敵な一着」
だが、プロレベルの将棋を語るとき、よく出てくるのが、こういう「筋の良い手」が通らないケース。
それがシビアなところであり、将棋というカオスなゲームのおもしろさでもある。
そう、大内は冴えていた。
ただ、運が悪かっただけなのだ。
△43銀と引いたのが、「素敵な」疑問手。
手の意味だけたどれば、すばらしいのがおわかりだろう。
△34で遊んでいる銀を取らせて活用し、▲同成桂と前の▲54成桂と引いた手を無駄手にさせながら攻め駒をソッポにやり、かつ眠っていた大砲を△55角と大海にさばいていく。
「創作次の一手」のような妙手で、強くて手が見える人ほど、指してしまうだろう。
そして、それが悪いというのだから、まったく、なにが正義かとうったえたくなるではないか。
△55角に、先手はここで勝負とばかり、▲45飛と飛び出す。
ここでも、△88角成と切って、▲同角に△87歩成と勝負すれば超難解な終盤戦が続いていたが、大内は△66角としてしまう。
自然な手のようだが、それには▲85桂と飛車を横に使うのが好手。
見事なサイドチェンジで、これで後手が受けにくい。
△同金、▲同飛、△84銀打、▲73銀から先手勝ち。
経験に裏打ちされた見事な駒さばきと、それをひっくり返す気力とド根性。
まさにベテラン対若手の戦いといった感じで、実に見ごたえがある将棋だった。
最後に気になるのは、大内が△42角の逸話を知っていたのかどうかだ。
先崎が訊くと大内は知らなかったようで、世界にはときに、こんな奇蹟のような偶然が起る。
真部のことを聞くと大内は、
「残念だな。勝ってやらなきゃいけなかったな」
そう言って笑顔を見せたという。
(羽生善治による馬を作る好手編に続く→こちら)
(大内が名人になり損なった痛恨の角打ちはこちら)