「コイツ、めっちゃええ奴やねん」
という言葉は、どこまで信用していいのか、わからないことがある。
よく、だれかから、その友人を紹介されたりすると、「エエ奴」なんて言われたりするが、ちょいちょい、
「そうかぁ?」
首をかしげざるを得ないケースがあったりするのだ。
そういう人の言動はわりとハッキリしており、紹介者の前ではナイスガイだが、われわれなど他人の前ではそうでなかったりするから。
先輩に礼儀正しい分、後輩にはメチャクチャいばるとか、変な「カマシ」を入れてきたり、要するに、この場合の「エエ奴」というのは、
「その人の前だけエエ奴」
というだけの話で、単に「ヒエラルキーに敏感」なだけだったりする。
私の定義では、立場や力関係を軸に接し方を変える人というのは、「いい人」に入らないが、これが「エエ」態度を受けている側にはわからないのだ。
似たようなものとして、
「コイツ、めっちゃおもろいヤツねん」
これもほとんどの場合、実際におもしろいというより、
「内輪の人気者」
「単に明るいだけ」
「紹介するほうもされる方も、芸人気取りのカン違いさん」
このどれかであって、たいていがトホホである。
飲み会などで、「おもろいヤツ呼んだろか」と言われて、延々とそっちの友達の間だけで流行ってる、身内ノリのギャグやフレーズを連発された日には、もう苦笑しかないではないか。
もちろん、本当に「性格がいい人」「おもしろい人」を連れてくる場合もあるが、結構な確率で「なんでこの人が?」という過大評価を感じさせる人もいるのだ。
これはまったく他人事ではなく、かくいう私の身近にいる人も被害にあっていて、友人タカツキ君は学生時代にある先輩から、
「キミ、メッチャおもろい男やな」
「オレ、友達いうより、もはやファンやから」
なんて、かわいがっていただいたことがあったそうな。
芸人さんが言うところの「ハマった」状態で、まあそれはありがたいことだが、ひとつ問題だったのが、その先輩がことあるごとに、それをよそで吹聴すること。
「こいつオモロイ」
「センス抜群」
とか、お世辞として聞いてる分にはいいけど、それはあくまで「身内のノリ」であり、外の世界で通じる普遍性はないし、なによりタカツキ君もそれを理解する冷静さを持った男だった。
それこそたとえば、先輩の中でタカツキ君の「毒舌」がウケたとて、それは「共通の知人の悪口」のような、すでに関係性が出来上がったうえでのものである。
それを、
「おい、あの得意の【毒舌トーク】披露したってくれや」
という、身も凍るようなフリから語ったところで、その熱量は通じないどころか、
「単に人の悪口を言ってよろこぶ、性格の悪い人」
というだけのあつかいになってしまうのは、想像に難くない。
もちろん話題も、先輩のことを知っているから、そこに関したものを選ぶし、たとえ話とかも、彼の趣味から選んでみたりと、ニーズに合った対応もできるが、つき合いのない人ではそれもできない。
そんなもん聞かされても、タカツキ君の「ファン」でない人には「はあ……」であるし、ましてや関西のヤングはたいてい、
「オレはおもしろい」
「自分には笑いのセンスがある」
なんて勘違いしてるから、「おもしろい」なんて評価(しかも仲良しゆえの幻想の)を受けている男を素直に受け入れるわけもなく、
「さーてキミは、笑いの才能アリなオレ様に、どんな【おもしろ】を見せてくれるのかな」
みたいな、ブラック企業の人事担当者のごときビッグな態度でマウントを取りにこられて、迷惑なことこの上ないのだ。
結局、「メッチャおもろい」タカツキ君はテンション下がりまくりで、「センスがある」くせに消極的になり、たまに口を開いてもシラけるしで、いつこの場から撤退するかに血道をあげることになる。
あまつさえ、アウェーの状況で苦戦するタカツキ君を見かねた先輩が、
「お前ら、こんなオモロイ男が一所懸命ボケてくれてるのに、なんで笑わへんねん!」
なんて怒り出した日には、もういたたまれない気分である。ここは地獄か。
友曰く、
「先輩には、ようさんおごってもらいましたけど、ああいう状況で呼び出されたときは、食いもんの味がせんかった」
皆様も、だれかを紹介するときは一回
「いい人とか、おもしろいとか、それ感じてるのはオレだけでは?」
そこを検討していただきたいものだ。みんなが不幸になります。