エジプトは遺跡もいいが、人がおもしろい。
先日もお話したが(→こちら)エジプトといえば、ギザのピラミッドをはじめ、ルクソールの遺跡群やアブ・シンベル神殿など見所だらけだが、それと同じくらい人が印象的だ。
特にカイロっ子は感情が激しく、そこらへんでケンカが起ったりしてビックリするが、10分も経てば仲直りしてハグしたりとか、全体的にふり幅が大きい。
そういうところが見ていて飽きないが、それ以外でも、カイロにはいろんな人がいるもので、オールド・カイロという地域を歩いていたところ、ある家族から声をかけられた。
エジプトはイスラムの国だが、実は人口の1割ほど、数にして800万人ものキリスト教徒が住んでいる。
信仰されているのは、コプト教という紀元前から残るエジプトの原初キリスト教。
マイノリティーである彼らは、イスラム中心のエジプト人たちから、住むところや仕事を大きく制限され、危険で健康にも有害なゴミ処理業に従事せざるを得ないなど、きびしい迫害を受けているという。
雑誌『旅行人』に連載された、エジプト在住経験もある田中真知さんの文によると、以前に新型インフルエンザが世界的に流行したとき、エジプト政府は多くの豚を殺処分しようとした。
ところが、コプト教徒に言わせると、豚が原因であるというデータもなければ、そもそも患者も出ていないのに、勝手にそのようなことを決定するのは不自然だと。
これはインフルエンザに乗っかったコプト弾圧であり、実際イスラム教徒が手を付けない養豚はコプトの大きな収入源となっているため、そう言われても仕方のない乱暴なやり方だった。
そんなコプト教徒が住むのがオールド・カイロだが、歴史あるコプト教会など案外と見どころも多く、それ以上に、カイロ中心部と比べると静謐で、ゆったりした時間が流れる場所であるところが魅力だ。
私はここを歩くのが好きだった。
こちらに手を振るコプト家族は、庭にある木のテーブルに腰かけておしゃべりをしていた。
おばあさんに、お母さん、高校生くらいの男の子に、そこいらを走り回る子供たち。
ちょっとしたお茶会の雰囲気だ。なぜにて私などに興味を持ったかはわからないが、「こっちにこい」というのでお邪魔することにした。
そこから思いもかけぬコプト&日本の交流会となった。
もちろんのことこっちはアラビア語がわからないし、むこうも日本語どころか英語も片言だけど、とにかく私のことを歓迎してくれているのはわかった。
チャイをいただき、コーラを飲み、パンやチーズ、オリーブなどをいただく。
会話はほとんど成り立たないので、おたがいにニコニコするだけだったけど、むこうもそもそも無口なのか、気まずい感じにはならなかった。
たしかに、喜怒哀楽が激しくアクが強いエジプト人とは、ずいぶんとちがう印象だ。
おばあさんにすすめられるまま、チャイをおかわりする。子供が日本語版プレステのサッカーゲームで遊んでいた。
そういえばエジプトでは、おばあさんのことばかりおぼえている。
オールド・カイロでごちそうになった帰り、道に迷ってしまった。
イスラムからの迫害を逃れるために、わざとそうしているらしいが、地図にも乗ってないようなゴチャゴチャした路地に迷いこんで、完全に方向感覚を失っていた。
季節は春だったが、カイロの日差しは強い。
暑さと疲れと心細さで、思わず道端にへたりこんでしまうほどだった。
そこに、ひとりのおばあさんがやってきた。
買い物かごをかついだコプトのおばあさんは、泣きそうになってしゃがみこんでいる私にみかんをふたつ手渡すと、なにやらブツブツと呪文のような言葉をつぶやき、そのまま笑顔で去っていった。
わけもわからず、みかんを両手に阿呆のように突っ立っていると、その様子を見ていた八百屋のおじさんが、
「ばあさんが、よかったら食べなさいってさ」
拙い英語だが、一所懸命に語彙を探して教えてくれた。
コプトとイスラム。前回も言ったが、宗教や文化はちがえど、「おばあさんは若者にものを食べさせたがる」というのは、どこでも同じなようだ。
あの呪文はなんだったのか、こっちも身振り手振りをまじえて訊くと、
「あなたの旅が無事でありますようにって、コプトの祈りを唱えてたんだよ」
その後、なんとか帰り道を発見した私は、歩きながらそのみかんを食べた。
それはパサパサで、甘みもそっけもなかったが、それでいて世界でもっとも美味なみかんであった。