「モーガン・スパーロックほど、悪逆非道な男を見たことがない!」。
そんな憤りの声をぶつけてきたのは、友人ミテジマ君であった。
モーガン・スパーロック、といえば映画ファンにはなじみのある名前だ。アメリカのドキュメンタリー監督。
代表作ともいえる『スーパーサイズ・ミー』では、マクドナルドのメニューを30日間食べ続けるという「人体実験」で、ファストフードにかたよったアメリカ人の食と健康事情をレポートした社会派である。
それが悪逆非道。はて? まじめで、世界の諸問題と積極的に向き合うインテリ監督に、そんな言葉は似合わない。友はなにをもって、モーガンをそんな糾弾するのかと問うならば、
「これや、この映画を観てくれたら、コイツがいかにヒドイ男かわかる!」。
そうして紹介されたのは、モーガン・スパーロック監督作品である『ビン・ラディンを捜せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃~』。
内容としては、9.11のテロののち、子供の将来に不安を持ったモーガンが、
「オレが悪のボスであるオサマ・ビンラディンを自ら捕まえたる!」
そう宣言して、イスラム圏の国々を回り、捜査するというもの。
もちろん「自分で捕まえる」というのは冗談で、実際はそういうコメディータッチな体でムスリムの人々と接し、その過程で、
「アメリカでは今、イスラムの人々が全員テロリストのように報じられているが、本当は彼らだってわれわれと同じ善良な市民なのだ」
ということを伝えていく、ヒューマンなドキュメントだ。
私個人は『スーパーサイズ・ミー』といい、こういう
「みんなは、まじめでかしこい人だって思ってるみたいだけど、ボクだって、こんなひょうきんなことができるんだよ」。
といった「秀才が、がんばっておバカなボケをふりまく」タイプのノリは苦手なのだが、映画自体はさすが売れっ子監督。なかなかおもしろいうえに、イスラムの国々の生活文化なども見られて、とても勉強になる。
なんだ、ふつうに良作ではないか。これのどこに悪があるのかといえば、途中、パキスタン編に突入したところで、「ん?」となった。
われらが大日本帝国は、まあいろいろ言いたいことはあるとはいえ、一応は親米だけど、世界の諸民族や国家には反アメリカという人々も目立つ。
イスラム国家であるパキスタンも御多分にもれず、強い反米意識、ビンラディンへの礼賛の声、過激なデモなどUSAをざわつかせる要素が散見されるが、私が気になったのは、パキスタン商店街のおじさんによるこんな言葉だった。
「プロレスはガチンコだよ」。
プロレスはガチ。政治ドキュメンタリーで、なぜ唐突にこんな言葉が出るのかといえば、パキスタン男子はたいそうプロレスが好きで、しかもアメリカン・プロレスも大いに好むのだという。
「アメリカは嫌いだけど、アメリカ文化は好き」
というのは、私も色んな旅行をしていて感じる「反米あるある」だけど(中国や韓国で日本のマンガやアニメが好まれるのと同じですね)、この商店街おじさんもTシャツ屋で、プロレスシャツが店頭にディスプレイされていたから、相当なファンである。
そこで、モーガンは笑いながらたずねる。
「プロレス、好きなんだ」。
それに対するパキお父さんの答えが
「もちろんさ、プロレスはガチンコだからね」。
この言葉に、私は深い感銘を受けた。
プロレスはガチ。なんだか太古の昔、たぶん室町時代末期くらいまで、我々日本人の間では、そんなことが信じられていたような気がする。
そこでハタとひざを打ったのだ。友人ミテジマ君は、大のプロレスファンである。
常日ごろ、『週刊ゴング』と『大阪スポーツ』を愛読しており、家では弟と日夜スパーリング(という名のプロレスごっこ)を重ねるという熱心さだ。
ところがだ、モーガンはそんな、パキスタンのミテジマ君ともいえるTシャツ屋のおじさんに、笑顔でとんでもないことを言い放ったのである。
(続く→こちら)
そんな憤りの声をぶつけてきたのは、友人ミテジマ君であった。
モーガン・スパーロック、といえば映画ファンにはなじみのある名前だ。アメリカのドキュメンタリー監督。
代表作ともいえる『スーパーサイズ・ミー』では、マクドナルドのメニューを30日間食べ続けるという「人体実験」で、ファストフードにかたよったアメリカ人の食と健康事情をレポートした社会派である。
それが悪逆非道。はて? まじめで、世界の諸問題と積極的に向き合うインテリ監督に、そんな言葉は似合わない。友はなにをもって、モーガンをそんな糾弾するのかと問うならば、
「これや、この映画を観てくれたら、コイツがいかにヒドイ男かわかる!」。
そうして紹介されたのは、モーガン・スパーロック監督作品である『ビン・ラディンを捜せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃~』。
内容としては、9.11のテロののち、子供の将来に不安を持ったモーガンが、
「オレが悪のボスであるオサマ・ビンラディンを自ら捕まえたる!」
そう宣言して、イスラム圏の国々を回り、捜査するというもの。
もちろん「自分で捕まえる」というのは冗談で、実際はそういうコメディータッチな体でムスリムの人々と接し、その過程で、
「アメリカでは今、イスラムの人々が全員テロリストのように報じられているが、本当は彼らだってわれわれと同じ善良な市民なのだ」
ということを伝えていく、ヒューマンなドキュメントだ。
私個人は『スーパーサイズ・ミー』といい、こういう
「みんなは、まじめでかしこい人だって思ってるみたいだけど、ボクだって、こんなひょうきんなことができるんだよ」。
といった「秀才が、がんばっておバカなボケをふりまく」タイプのノリは苦手なのだが、映画自体はさすが売れっ子監督。なかなかおもしろいうえに、イスラムの国々の生活文化なども見られて、とても勉強になる。
なんだ、ふつうに良作ではないか。これのどこに悪があるのかといえば、途中、パキスタン編に突入したところで、「ん?」となった。
われらが大日本帝国は、まあいろいろ言いたいことはあるとはいえ、一応は親米だけど、世界の諸民族や国家には反アメリカという人々も目立つ。
イスラム国家であるパキスタンも御多分にもれず、強い反米意識、ビンラディンへの礼賛の声、過激なデモなどUSAをざわつかせる要素が散見されるが、私が気になったのは、パキスタン商店街のおじさんによるこんな言葉だった。
「プロレスはガチンコだよ」。
プロレスはガチ。政治ドキュメンタリーで、なぜ唐突にこんな言葉が出るのかといえば、パキスタン男子はたいそうプロレスが好きで、しかもアメリカン・プロレスも大いに好むのだという。
「アメリカは嫌いだけど、アメリカ文化は好き」
というのは、私も色んな旅行をしていて感じる「反米あるある」だけど(中国や韓国で日本のマンガやアニメが好まれるのと同じですね)、この商店街おじさんもTシャツ屋で、プロレスシャツが店頭にディスプレイされていたから、相当なファンである。
そこで、モーガンは笑いながらたずねる。
「プロレス、好きなんだ」。
それに対するパキお父さんの答えが
「もちろんさ、プロレスはガチンコだからね」。
この言葉に、私は深い感銘を受けた。
プロレスはガチ。なんだか太古の昔、たぶん室町時代末期くらいまで、我々日本人の間では、そんなことが信じられていたような気がする。
そこでハタとひざを打ったのだ。友人ミテジマ君は、大のプロレスファンである。
常日ごろ、『週刊ゴング』と『大阪スポーツ』を愛読しており、家では弟と日夜スパーリング(という名のプロレスごっこ)を重ねるという熱心さだ。
ところがだ、モーガンはそんな、パキスタンのミテジマ君ともいえるTシャツ屋のおじさんに、笑顔でとんでもないことを言い放ったのである。
(続く→こちら)