前回(こちら)の続き。
大山康晴名人(王将・王位)に中原誠十段・棋聖が挑んだ1972年の第31期名人戦は、第5局まで終わって3勝2敗と大山がリード。
だれもが「大山防衛」を確信しており、当の中原すら、
「カド番で気楽になったといっては変だが、とにかく今年はダメだと思った」。
こんなことを書くくらいだから、よほどこのときの大山は圧巻だったのだろう。
腹をくくった中原は、なんと第6局で、大山の得意戦法である振り飛車を逆に選択。
大山も意表をつかれただろうが、東公平さんの観戦記によると、
▲96歩。とうとう出た。一度はあるだろうと予想されていた中原の振飛車指向だ。
とあるから、まったく予期されなかったわけでもないらしい。
もっとも、中原によると、
振飛車は四段になってからたしか十一回目ですよ。これまで八勝二敗です。
相性こそいいが、それでも、ほとんど指していない形をこの大一番に投入するのは、「ダメだと思った」ゆえのことだろう。
この選択に、大山はおどろいたであろうが、同時に心の中で、ほくそ笑んだのではあるまいか。
なんといっても大山といえば、ただでさえメチャクチャ強いのに加えて、相手の心理を読むことにかけても一級品の棋士だった。
過去何度も、対局相手の心の乱れを察知し、揺さぶりをかけることによって勝利をものにしてきたのだ。
ならば、中原が飛車を振ったのを見て
「苦しまぎれか」
「もう半分あきらめてるな」
といった流れを、すぐさま見抜いたに違いない。
それともうひとつ。振り飛車の達人である大山だが、実は自身が振るよりも「振り飛車破り」の方がうまいと言われている。
これは「大山チルドレン」である藤井猛九段にも共通するところ。
この両輪がそろった振り飛車党は強い。
相手の得意戦法を封じた先に、もうひとつ「本物の」得意戦法が待ち構えているのだ。
裏をかいたつもりが、密かな罠にハマっている。
振らせてもダメ、振ってもダメ。
町田町蔵さんの曲ではないが、
「ほな、どないせえっちゅうねん!」
と叫びたくなる大山のスキのなさで、実際この第6局も、中原のさばきを丁寧に受け止めて優位を築く。
むかえたこの局面。
先手が▲78歩と、桂取りを受けたところ。
飛車銀交換の駒得で、手番も握っている後手が優勢。
ここでは△66飛と歩を補充して、▲67歩に△64飛と軽快に使うのが良かった。
これなら△64の飛車がタテヨコに自在で、次に△89飛などの打ちこみからボチボチせまっていけばいい。
▲64同馬は△同歩でカナメの馬が消えるうえ、後手陣にうまい飛車の打ちこみ場所がなく、これなら後手が優位をキープできた。
ところが、大山は単に△89飛とおろしてしまう。
自然な手のようだが、これがまさかの大落手だった。
次の手で将棋はお終いだが、わかりますか? 私は当てましたよ、フッフッフ。
▲31銀と打つのが、強烈なスマッシュ。
私が「当てましたよ」などと自慢したのは、この手が小学生のころ読んだ『中原の駒別次の一手』という本の問題に出ていたから。
まあ、手自体は「初段コース」くらいだけど、それでも正解できてうれしく(私は「次の1手」が苦手なのです)、今でも憶えているのだ。
玉を逃げても、▲15歩からの端と▲42銀成とはりつく筋をからめて、この攻めは振りほどけない。
△31同金しかないが、▲43馬と取るのが飛車金両取りでピッタリ。
両方受けるには△71飛しかないが、▲82銀と追撃してバラバラの後手陣はとても持たない形だ。
信じられないことに、大山はこの銀打ちが、まったく見えていなかった。
そもそもポカに理由などないことがほとんどだが、油断するようなシチュエーションでもないし、堅実な棋風の大山だから、なおのことありえない。
まさに純正のウッカリである。
第3局とは逆に、中原が中押しのような形で勝つも、今回この記事を書くにあたって、「そっかー」となったところがあった。
カンのいい方なら、すでに気づいてるかもしれないが、そう、この勝負を決めた▲31銀という手は、もっと早くに発動できたはずだった。
最初の図を見て直していただきたい。
中原は▲78歩と桂取りを受けたのだが、今回のタネ本のひとつである『将棋世界』のインタビュー記事で本人も語るように、ここで歩を打たずにすぐ▲31銀と打てるのだ。
いや、もちろん▲78歩を打ってないと、本譜と同じ△31同金、▲43馬、△71飛、▲82銀に、△77飛成と、金を見捨てて攻め合いにくる筋があり、うまくいってるかは微妙だ。
とはいえ、▲78歩と打ってしまえば、次に先述の△66飛から△64飛の筋で▲31銀を消されると、勝負手を放つチャンスを、もうあたえてもらえないかもしれないのだ。
それを承知で、△66飛から△64飛と指されれば悪いのをわかっていながら、よりよい時期をねらって、じっと▲78歩と受ける。
これはすごい精神力である。
中原からすれば、相手の様子から、▲31銀を発見できてないことは察知していたのだろうが、それでも一回、ここで耐えられるというのが信じられない。
私にかぎらず、かなりの人が誘惑に負けて、また相手に悟られることが怖くて、「未完成」のまま▲31銀と打ってしまうのではあるまいか。
そこを平然と▲78歩。
この辛抱こそ、本局の白眉だった。
先崎学九段が扇子などに揮毫する言葉に
「毒蛇は急がない」
というのがあるそうだが、まさにそれ。
何度見ても、ここでこらえて▲78歩にはシビれる。
一見、凡ミスで終わっただけの将棋も、その裏には様々な思惑や心理戦の交錯があるとわかり、将棋のおもしろさを再確認できる一手であった。
(続く)