撃つな!アラシ 中原誠vs大山康晴 1972年 第31期名人戦 その4

2022年04月24日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(こちら)の続き。

 大山康晴名人王将王位)に中原誠十段・棋聖が挑んだ1972年の第31期名人戦は、第5局まで終わって3勝2敗と大山がリード。

 だれもが「大山防衛」を確信しており、当の中原すら、

 


 「カド番で気楽になったといっては変だが、とにかく今年はダメだと思った」。


 

 こんなことを書くくらいだから、よほどこのときの大山は圧巻だったのだろう。

 腹をくくった中原は、なんと第6局で、大山の得意戦法である振り飛車を逆に選択。

 大山も意表をつかれただろうが、東公平さんの観戦記によると、

 


 ▲96歩。とうとう出た。一度はあるだろうと予想されていた中原の振飛車指向だ。


 

 とあるから、まったく予期されなかったわけでもないらしい。

 もっとも、中原によると、

 


 振飛車は四段になってからたしか十一回目ですよ。これまで八勝二敗です


 

 相性こそいいが、それでも、ほとんど指していない形をこの大一番に投入するのは、「ダメだと思った」ゆえのことだろう。

 この選択に、大山はおどろいたであろうが、同時に心の中で、ほくそ笑んだのではあるまいか。

 なんといっても大山といえば、ただでさえメチャクチャ強いのに加えて、相手の心理を読むことにかけても一級品の棋士だった。

 過去何度も、対局相手の心の乱れを察知し、揺さぶりをかけることによって勝利をものにしてきたのだ。

 ならば、中原が飛車を振ったのを見て

 

 「苦しまぎれか」

 「もう半分あきらめてるな」

 

 といった流れを、すぐさま見抜いたに違いない。

 それともうひとつ。振り飛車の達人である大山だが、実は自身が振るよりも「振り飛車破り」の方がうまいと言われている。

 これは「大山チルドレン」である藤井猛九段にも共通するところ。

 この両輪がそろった振り飛車党は強い。

 相手の得意戦法を封じた先に、もうひとつ「本物の」得意戦法が待ち構えているのだ。

 裏をかいたつもりが、密かなにハマっている。

 振らせてもダメ、振ってもダメ。

 町田町蔵さんの曲ではないが、


 「ほな、どないせえっちゅうねん!」


 と叫びたくなる大山のスキのなさで、実際この第6局も、中原のさばきを丁寧に受け止めて優位を築く。

 むかえたこの局面。


 

 

 先手が▲78歩と、桂取りを受けたところ。

 飛車銀交換の駒得で、手番も握っている後手が優勢。

 ここでは△66飛と歩を補充して、▲67歩△64飛と軽快に使うのが良かった。

 

 

 これなら△64の飛車がタテヨコに自在で、次に△89飛などの打ちこみからボチボチせまっていけばいい。

 ▲64同馬△同歩でカナメの馬が消えるうえ、後手陣にうまい飛車の打ちこみ場所がなく、これなら後手が優位をキープできた。

 ところが、大山は単に△89飛とおろしてしまう。

 

 

 

 自然な手のようだが、これがまさかの大落手だった。

 次の手で将棋はお終いだが、わかりますか? 私は当てましたよ、フッフッフ。

 

 

 

 


 

 ▲31銀と打つのが、強烈なスマッシュ。

 私が「当てましたよ」などと自慢したのは、この手が小学生のころ読んだ『中原の駒別次の一手』という本の問題に出ていたから。

 まあ、手自体は「初段コース」くらいだけど、それでも正解できてうれしく(私は「次の1手」が苦手なのです)、今でも憶えているのだ。

 玉を逃げても、▲15歩からの端と▲42銀成とはりつく筋をからめて、この攻めは振りほどけない。

 △31同金しかないが、▲43馬と取るのが飛車金両取りでピッタリ。

 

 

 

 

 両方受けるには△71飛しかないが、▲82銀と追撃してバラバラの後手陣はとても持たない形だ。

 


 

 信じられないことに、大山はこの銀打ちが、まったく見えていなかった

 そもそもポカに理由などないことがほとんどだが、油断するようなシチュエーションでもないし、堅実な棋風の大山だから、なおのことありえない。

 まさに純正のウッカリである。

 第3局とは逆に、中原が中押しのような形で勝つも、今回この記事を書くにあたって、「そっかー」となったところがあった。

 カンのいい方なら、すでに気づいてるかもしれないが、そう、この勝負を決めた▲31銀という手は、もっと早くに発動できたはずだった。

 最初の図を見て直していただきたい。

 中原は▲78歩と桂取りを受けたのだが、今回のタネ本のひとつである『将棋世界』のインタビュー記事で本人も語るように、ここで歩を打たずにすぐ▲31銀と打てるのだ。

 

 

 いや、もちろん▲78歩を打ってないと、本譜と同じ△31同金、▲43馬、△71飛、▲82銀に、△77飛成と、金を見捨てて攻め合いにくる筋があり、うまくいってるかは微妙だ。

 とはいえ、▲78歩と打ってしまえば、次に先述の△66飛から△64飛の筋で▲31銀を消されると、勝負手を放つチャンスを、もうあたえてもらえないかもしれないのだ。

 それを承知で、△66飛から△64飛と指されれば悪いのをわかっていながら、よりよい時期をねらって、じっと▲78歩と受ける。

 これはすごい精神力である。

 中原からすれば、相手の様子から、▲31銀を発見できてないことは察知していたのだろうが、それでも一回、ここで耐えられるというのが信じられない。

 私にかぎらず、かなりの人が誘惑に負けて、また相手に悟られることが怖くて、「未完成」のまま▲31銀と打ってしまうのではあるまいか。

 そこを平然と▲78歩。

 この辛抱こそ、本局の白眉だった。

 先崎学九段が扇子などに揮毫する言葉に

 


 「毒蛇は急がない」


 

 というのがあるそうだが、まさにそれ。

 何度見ても、ここでこらえて▲78歩にはシビれる

 一見、凡ミスで終わっただけの将棋も、その裏には様々な思惑心理戦の交錯があるとわかり、将棋のおもしろさを再確認できる一手であった。

 

 (続く

 

 


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