稲葉陽がNHK杯で優勝した。
2度の準優勝をバネに、3度目の正直を果たしたのは、見事の一言で本人もホッとしたことだろう。
「準優勝」って見ている方からすると「たいしたもんじゃん」と思うけど、勝負の世界に生きる人にとっては、なかなかに、しんどいものらしい。
先崎学九段はNHK杯の決勝で、三浦弘行九段に敗れた後、
「準優勝はイヤだ、生理的に気持ち悪い」
「多くの棋士が《決勝で負けるのと1回戦で負けるのと、どっちがいいか》と問われると悩む。ベスト4と1回戦なら悩まないのに」
といった内容のことを書いておられた。
そういえば、行方尚史九段も王位リーグ入りをかけた一番を戦うとき、
「リーグ入りのかかった将棋を負けるなら、1コケのほうがマシだ」
もっとも、渡辺明九段のように
「決勝まで行けば、準優勝者でも名前は残るし賞金も出る。だから、とりあえずは、そこを目指す」
という現実派もいますが。
そんな「1回戦負けのほうがマシ」な試練を乗り越えた稲葉だが、この人といえば思い出すのが、こんなエピソード。
2005年から2006年の第38回三段リーグで、最終日2局を残して13勝3敗で首位を走っていた稲葉陽三段。
残り2つのうち、ひとつを勝つか、あるいは競争相手が1敗でもすれば四段が決定という状況だった。
要するに自分が2連敗して、ライバルが2連勝する以外は決まりという圧倒的有利な状況だったが、そのまさかのありえない目が出て、プロ入りを逃してしまう(昇段したのは中村太地三段で、ちょうど中村七段が解説してくれています→こちら)。
過去には鈴木大介三段、野月浩貴三段、木村一基三段などが、似たような状況から昇段を逃し、悔しさと悲しさで、人目もはばからず号泣した話をエッセイなどでしている。
ふつうなら、放心するか、自暴自棄になってもおかしくないところだろうが、ここからがすごい。
最終戦で昇段を逃した後、稲葉は同じ関西の豊島将之三段と一緒に帰ったそうなのだが、なんとその帰りの新幹線で、プロ入りを逃した敗局を自ら解説したというのだ。
それを聞きながら豊島三段は、
「この人は凄いなと思いました」
心底、感嘆したという。
人生が変わってしまう、下手すると終わってしまうような大暗転にひるむことなく、すぐさま次へ向けての準備を始める。
間違いなく「正解」の行動であるし、口で言うのは簡単だけど、ふつうはこんなこと、できないとしたものだ。
テニスの鈴木貴男選手は、どこかで大きな試合に負けた後、
「落ちこんで、帰ってしまう人」
「試合後、すぐに練習をはじめる人」
この差について語っていたことがあった。
私はうなだれて帰っていく選手をダメとは思わないが、後者が「凄い」のは間違いないだろう。
あの豊島二冠が脱帽した男が、久方ぶりに、大きな仕事をなしとげた。
稲葉陽「NHK杯選手権者」。
ようやっと、しっくりきました。
次はA級復帰にタイトル獲得。
関西のファンとして、期待はますます、高まるばかりである。