稲葉陽八段が、NHK杯で優勝した。
稲葉といえば、これで3度目の決勝進出と、この棋戦との相性の良さを見せているが、まだ優勝には届いていない。
2017年の第67回大会では山崎隆之八段に、また昨年度も深浦康市九段に敗れての準優勝。
決勝まで行って、そこで負けてしまう徒労感は相当のものだろうに、3度目勝ち上がってくる精神力は、すばらしいものがある。
今度こそ、と気合を入れていたことだろう、名人挑戦を決めて勢いに乗る、斎藤慎太郎八段に激戦の末勝利。
NHK杯決勝の最終盤。ここで△25銀と飛車を押さえておけば、斎藤の優勝はほぼ決まっていた。
本譜は△35銀だったため、▲33銀、△同桂、▲同歩成、△同金、▲同金、△同玉、▲43金から、稲葉が一瞬の切れ味を見せ、後手玉を仕留めた。
ともかくも、双方スレスレの線を行く将棋であって、大いに堪能したものだった
ということで、前回は名人時代に佐藤天彦九段が見せた、華麗な桂使いを紹介したが(→こちら)、今回は稲葉の将棋を取り上げてみたい。
2013年の第21期銀河戦。
決勝に勝ち上がってきたのは、橋本崇載八段と稲葉陽六段だった。
両者とも棋戦初優勝がかかった一番は、後手になった橋本が、早々の角交換から、ダイレクト向飛車に振る。
稲葉は銀冠で対抗し、▲66角と好所に据えて局面を動かしていくと、橋本もその角を目標に盛り上がっていく。
むかえたこの局面。
角銀交換で後手が駒得だが、△45の桂が取られそうなうえに、△33の金も玉から離れて使いにくい。
先手は一目、▲45歩と桂を取りたいが、△55角と天王山に設置され、飛車を責められるのもやっかいだ。
どう手を作るのか注目だが、ここから稲葉が、力強い駒の進撃を見せてくれる。
▲66銀と置いておくのが、なるほどという手。
自陣にカナ駒を投入し、一見迫力なさげに見えるが、これが局面の急所を押さえ、含みが多い銀打なのだ。
具体的には、△55角の筋を消しながら、いつでも▲45歩と取るぞとおどしをかけ、△57桂成から、△39角のような攻めも緩和している。
ボヤボヤしてれば▲75銀から▲85歩と、玉頭戦から一気にラッシュで、そうなれば、後手の2枚の角がうまく機能しない可能性もある。
接近戦は大駒よりも、金銀のタックルの方が、パワーで勝るのである。
橋本は△44金と、懸案の金を活用してくるが、稲葉は▲45歩と取って、△同金に、▲85歩、△同歩と急所の突き捨てを入れてから、▲48飛と味よく活用。
形勢はまだむずかしそうだが、手の勢いは先手にありそう。
橋本も△86歩、▲同銀、△87歩と、これまた筋中の筋で応戦するが、どうもこのあたりから稲葉がリードを奪いつつあったようだ。
むかえた最終盤。
橋本が、ふたたび△86歩と、銀冠の最急所に一発入れているところ。
先手が一手勝てそうだが、△69角という手には、気をつけなければならない。
なら、自陣のスキを作らない、▲86同銀引が冷静な手に見えるが、攻め駒が後退するのもシャクではある。
鋭さが売りの稲葉は、果敢に踏みこんでいく。
▲84歩が、なにも恐れない勇者の一撃。
△87歩成とボロっと取られるだけでなく、先手玉も危険地帯に引きずり出されて、怖すぎるところだが、稲葉はすべて読み切っていた。
まるで谷川浩司九段による「光速の寄せ」のごとしだが、事実、稲葉の終盤力は、
「谷川型エンジン搭載」
と絶賛されているのだ。
▲84歩に△73金は▲74桂で詰まされる。追いつめられた橋本は、△87歩成、▲同玉に△76銀(!)と捨駒。
▲同玉に、またも△85銀(!)と捨て、トドメに△74金打(!)。
なりふりかまわぬ犠打の嵐で、なんとかしがみついていく。
詰みはないが、30秒将棋では「まさか」ということもあるし、なんとか王手しながら敵のカナメ駒を除去していくのは、玉頭戦の手筋でもある。
ただ、ここはさすがに、駒を使いすぎてしまっている。
手に乗って敵陣にトライした先手玉をつかまえるには、もはや橋本に戦力は残っていなかった。
最後は最果ての▲31まで逃げて、橋本の猛追を振り切った。
勝ちはその前から読み切っていただろうが、ここまで追われては、さすがの稲葉も、投げてくれるまでブルブルだったことだろう。
難敵を下し、見事に稲葉陽が、全棋士参加棋戦での優勝を飾ったのであった。
(西山朋佳と里見香奈の熱戦編に続く→こちら)