映画や小説の「正しい解釈」と、「おもしろく間違う」ことについて

2021年02月02日 | 映画
 「その映画の観方と解釈、間違ってますよ」。
 
 なんて指摘を受けることが、たまにある。
 
 映画が好きなので、おもしろい作品に出会うと、あれこれ語りたくなるのだが、それが相手の心にヒットしないなんてことはよくあるもの。
 
 間違っている。
 
 そう突きつけられると、若いころはビビったものだ。
 
 映画や小説についてドヤ顔でテーマや見どころを披露したのに、時に冷笑するように、時に怒りや、あわれな人を見るような目で、ドカンと爆弾を落とされる。
 
 根が小心者なので、そうなるとこちらは顔面蒼白。全身から冷や汗が噴き出し、や……やってもうた……と、言葉を失ってしまう。
 
 とりあえずその場は、「あ、そうなんすかー」と笑ってごまかすとして、すぐさま本屋図書館にダッシュ。
 
 「映画」コーナーに行くと、そこにある
 
 
 「世界名作講座」
 
 「名画の鑑賞法」
 
 「監督、自作を語る」
 
 
 みたいな本を、かたっぱしから手に取って熟読
 
 上下左右、様々な角度から、徹底的に「テーマ」「構成の妙」「監督の演出意図」などなどを付け焼刃的に頭に放りこみ、理論武装に血道をあげることとなる。
 
 でもって、そこで仕入れた知識を他の場所で、あたかも自分だけの解釈のように披露し、
 
 
 「どうや、オレは映画にくわしいやろ! 教養もあるやろ! 難解なテーマも見逃せへんぜ!」
 
  
 懸命にを雪ごうとしたものだ。
 
 今思えば若かったというか、まあ映画や読書好きというのは一度はというか、星の数ほどこういうトホホな時代を経験し赤面することになる。
 
 まあこれはこれで、「聞くは一時の恥」みたいに勉強にもなる面もあるわけで、あながち悪いことだけでも、ないかもしれなけど。
 
 では、ナウなヤングでなくなった現在ではどうなのかといえば、これが「間違ってる」とか言われても、全然平気になってしまったなあ。
 
 日常会話とか、あとこのブログでも、たまに映画や小説を取り上げると、
 
 
 「それ違うよ」
 
 「的外れな感想でガッカリしました」
 
 
 なんてコメントをいただいてしまうこともあるけど、
 
 「ま、それもまたよし」。
 
 と思うくらいで、昔みたいに、あわてることもなくなってしまった。
 
 その理由としては、まずそんな
 
 「間違ってるかどうか」
 
 なんて、どうでもいいやん、ということ。
 
 映画でも小説でもお芝居でも、一番大事なのは
 
 
 「自分にとっておもしろいかどうか」
 
 
 であって、そんな
 
 
 「この作品はどういうテーマで作られているのか」
 
 「このシーンはどういう意味があるのか」
 
 
 なんてことを発見するために見るわけでもない
 
 いや、もちろん「テーマ」や「意味」も大事だけど、それはわかったらいいし、わからなければ後で人に訊くとか評論家の本でも読めばいい。
 
 でもそれは
 
 
 「わかると、作品をより楽しむことができる」
 
 
 からするものであって、別にそのことをドヤ顔で語って、頭のよさや映画知識の豊富さを競ったり、まして他者に優越感を感じたり、「正しい」のお墨付きをもらうためであるなら、
 
 「まあ、それはどっちでもいいなあ」
 
 という気になってしまうのだ。
 
 たとえば、私は町山智浩さんのファンで、著作や『WOWOW映画塾』を楽しんでいるけど、町山さんの
 
 
 「取材力」
 
 「教養」
 
 「洞察力」
 
 
 といったものは大いに学んで、吸収させてもらっている一方で(名著『映画の見方がわかる本』は今もバイブルです)、ことこれが「解釈」になると意見が違ってても、なんとも思わない
 
 だって、映画や小説の解釈には「正解」があって、それ以外の鑑賞法や感想を「ダメ」というのなら、そんなものテストでも受けさせられているようなもんで、楽しくもなんともない。
 
 そんなことに、1800円2時間という時を払いたくないよなあ、と。
 
 もちろん、若いときはそれが「教養」に結びつくし、知識を競い合うオタク的会話も基本的には大好きだけど、それよりなにより、心から笑ったり泣いたり心震わせたりして、
 
 「ええもん見たなあ」
 
 と満腹するのが、あえてこの言葉を使えば「正しい」鑑賞法だろう。
 
 そこで感じたことを「間違い」と言われたら、「そっすかね、恥かきましたか」とか頭をかきながら、でも心の中では、
 
 「ま、でもそれはそれで、ネ」
 
 としかならないのだ。今となっては。 
 
 さらにいえば、これは個人的嗜好かもしれないけど、これまで映画や小説の話をしてきた経験上「正しい解釈」を語る人よりも、
 
 
 「おもしろく間違っている人」
 
 
 この話を聞く方が、圧倒的におもしろいということに、気づいたからでもあるのだ。
 
 
 
 (続く→こちら
 
 
 

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