マルチナ・ヒンギスが国際テニス殿堂入りを果たした。
早すぎた引退と、その後のドーピングのゴタゴタなどもあって、その現役生活には少々モヤモヤしたところを残した彼女。
だが、その才能、実力、実績、そのどれもが殿堂入りにふさわしいものであることは間違いなく、ファンとしては、よろこばしいかぎりである。
ヒンギスといえば、ちょうど私がテニスに興味を持ったころに、デビューした選手だった。
12歳のときにフレンチ・オープンのジュニアの部で優勝し、
「天才少女現る」
という噂は聞いていたが、はじめてじっくりと試合を見たのは1996年のオーストラリアン・オープン準々決勝。
グランドスラム大会で初のベスト8入りを果たした彼女の相手は、南アフリカのアマンダ・コッツァーだった。
コッツァーは身長158センチと小柄だが、安定感は当時の女子テニス界では随一といわれていた。
フットワークとねばり強さで戦う玄人好みのスタイルは、一発の怖さこそないものの、なんとも負かしにくいタイプのプレーヤーといえた。
女王シュテフィ・グラフを何度も苦しめたところから、ついたあだ名が「小さな暗殺者」というのがシブい。
若さで走るヒンギスにとっても、やや分の悪い相手といえたが、実際に試合の方もそうなる。
コッツァーの心身ともにブレない大人のテニスの前に、うまくさばかれてしまった。フルセットにもつれこむも、ここで惜敗。
この試合を見たときの印象としては、正直こういうものだった。
「天才少女、たいしたことないやん」
まだ14歳(!)ということを考慮に入れれば、当たり前といえば当たり前なのだが、デビュー間もない彼女は、いかにも線が細かった。
ショットのコントロールは下手なベテランよりもしっかりしており、さすがと思わせるものがあったが、どうもそれだけ。
目を見張るようなショットやネットプレーがあるわけでもなく、全体的に「器用貧乏」な感じだった。
そんな彼女がブレイクしたのは、翌年のUSオープン。
4回戦で、第3シードのアランチャ・サンチェス・ビカリオと対戦したヒンギスは、ここで目を見張るような成長ぶりを見せつける。
メルボルンでは、まだ自らのイメージするテニスに体が追いついていない印象だったが、このときのヒンギスはまるで別人であった。
パワーこそ、やはりそれほど感じられないものの、まるで定規で測ったかのように、ねらったところにピッタリと飛んでいくストローク。
これが百戦錬磨のサンチェス・ビカリオを、まるで格下の選手のようにあしらっていく。
その展開も見事で、理詰めでゲームを支配するプレーが光っていた。
常に2手先3手先を読んで、正確に相手の穴をつく。見ていて、ポイントの取り方が実に巧みで頭脳的なのである。
ヒンギスの才能は、単なるアスリートのそれに加えて、圧倒的な頭の良さにもあった。
今で言えば、アグニエシュカ・ラドワンスカのテニスに近いが、彼女のおそろしいところは、そのすごさをプレーの中でまったく感じさせないこと。
ショットの選択や、ネットでの動きなど、すべてが当時のトッププロをしのぐハイレベルなものだが、それをまるで子供が遊んでいるかのように、軽やかにこなしてしまうのだ。
その際たるが、バックハンド。
両手打ちのダウン・ザ・ライン(サイドラインに沿ってストレートに打つショット)といえば、バックハンドの中で最も難易度が高いショット。
ジョン・マッケンローが言うには、
「あれを完璧に打てるのは、アンドレ・アガシとマルチナ・ヒンギスだけ」
とのことだが、その通り。
ヒンギスはこのショットをあざやかに、鼻歌でも歌いながら、軽々と決めてしまうのである。
そこにまったくの力みはない。まさに、選ばれしものの打てるショットとしか、いいようがない。
あまりにもきれいにコートの隅に落ちるので、思わず知らず「はー」という、阿呆のようなため息が出るくらいだ。
これに魅せられた私は、ビデオ録画していたこの試合を何度も何度もくり返して見た。
昔の私は一度気に入ったものを偏執的にくり返し鑑賞するというクセがあったが、この試合がまさにそれだった。
たぶん、30回以上観返している。同じ試合なのに、周囲の人はさぞ不思議であったろう。
趣味ながら、自分でもラケットを握っていた私はヒンギスのプレーをまね、彼女のように頭脳的に勝ちたいと熱望していた。
無駄な力に頼らない、スマートなプレースタイルは、私にとって理想のテニスだった。
ここでハッキリと自分のスタイルを確立したヒンギスは、翌年から大化けする。
年明けのオーストラリアン・オープンに史上最年少で優勝し、以降あらゆる女子テニスの最年少記録をぬりかえていく。
ウィンブルドンとUSオープンも制し、世界ナンバーワンにも輝いた。
そうして、ヒンギスは確固たる時代を築いたのだが、その全盛期は意外なことに予想以上に短かった。
その理由は、女子にもパワーテニスの時代がやってきたこと。
ライバルだったリンゼイ・ダベンポートを筆頭に、ウィリアムズ姉妹、アメリー・モレスモー、復活を果たしたジェニファー・カプリアティ。
こういった力で押してくる選手に、次第に勝てなくなっていった。
テニスの質でおとるわけではないのに……。軽量型選手のつらいところである。
くわえてヒンギスの弱点に、精神力の問題があった。
メンタルが弱いというわけでもないようなのだが、性格的に、逆境において「泥にまみれてでも」という気持ちが持てないよう。
「情熱がなくなった」という、彼女の早すぎた引退も、そんな性格によるところもあったのだろう。
それでも全盛時代のヒンギスのテニスは天才的で、見ていて参考にしたくなるような、美しいテニスを見せてくれた。
彼女の美は、いわゆる女子選手の華やかなそれというよりは、高度に完成された数式が持つような、一種の機能美であった。
スーパーショットいうよりも、チェスのグランドマスターの見せる読みの入った絶妙手の美しさであり、純粋な才能のきらめきを見せてくれる選手でもあった。
今でも、あこがれのやむことのないプレーヤーの一人である。
■おまけ・サンチェス戦はなかったけど、ライバルであるダベンポートとの一戦→こちら
この二人の試合は、東レPPOの決勝など熱戦が多く楽しませてもらったものだ。