井上慶太のA級での戦いぶりは、実にドラマチックであった。
ということで、前回は初のA級で見事な戦いぶりを見せた、若き日の井上慶太九段の将棋を紹介した。
特にラス前の米長邦雄九段戦と、最終戦の島朗八段戦は結果だけでなく、負ければお終いという恐怖の中ひるむことなく、のびのびとした将棋を見せたことも評価されるべきだろう。
こうして一躍名をあげた井上だったが、A級の壁はなかなかきびしく、翌期には2勝6敗の成績で降級してしまう。
ここからも試練が続き、出直しとなったB1では7勝2敗の好成績でトップを走るも、残り2局のうち、どちらかを勝てば1期でのA級復帰というところから2連敗。
4期目にもやはり7勝2敗で、残り2局のどちらかを勝てばいいところを、またも2連敗してしまう。
この時期の井上は妙に勝負弱く、本人もふがいなく思っていたそうだが、その後は平凡な成績が続くことになる。
このままB1に定着してしまうのかと思いきや、陥落10年目の2009年にみたびのチャンスがおとずれるのだから、腐らずにがんばってみるものである。
といっても、これは井上にとって思いもよらなかったことらしく、45歳という年齢にくわえ、この年は開幕前の成績が3勝15敗という絶不調におちいっていたからだ。
それが不思議と順位戦には星が集まり、7勝3敗で残り2戦。
ここで首位に立って自力昇級の権利を手に入れるが、ラス前で森下卓九段に敗れ、またも土壇場で勝負弱さを発揮してしまう。
それでもまだ昇級の可能性は残していたが、最終戦が久保利明棋王という大強敵とあって、本人的にはほとんどあきらめていたのだそうだ。
ただ、その気楽さがかえってよかったか、井上はここでいい将棋を見せることになる。
3敗と4敗の直接対決の大一番は、久保が先手で石田流に。
▲76歩、△34歩、▲75歩、△85歩に、早速▲74歩と突くのが、このころ流行っていた形。
△同歩、▲同飛、△88角成、▲同銀、△65角に▲56角と打ち返すのが「升田幸三賞」も受賞した鈴木大介九段の新手。
なにやらすごい形だが、ここから△74角、▲同角と進んで、先手は▲55角から2枚角でゆさぶり、後手は自陣飛車を打って2枚飛車でそれを押さえるという、むずかしい戦いに。
そこからゴチャゴチャやり合って、この局面。
形勢はわからないが、久保が優勢にする手を逃したという評判で、井上自身も自分がやれるのではと感じていた。
とここで、久保が軽妙な手を発する。
▲73歩成、△同金、▲72歩が好手順。
久保の左手が舞う光景が見えるような、きれいな攻め筋だが、これが井上の意表を突いた。
飛車角が、それぞれの位置から後手玉をスナイプしており、金でも銀でも取れないのだ。
まったく見えてなかったことから、ガックリきてしまったそうだが、ここで35分とまとまった時間を投入して心を落ち着けられたのは幸運だったよう。
あらためて読み直してみると、いかにも決まっているような歩打ちだが、意外に耐えているのではと△84飛と取る。
先手は当然▲71歩成。一回△42玉と逃げだすが、▲72とと追撃されて困っているように見える。
△同金は▲53歩成、△同玉、▲41飛成で先手が優勢。
決まったようだが、ここで井上も会心の切り返しを見せる。
△63角が「私好み」と自賛するピッタリの受け。
と金取りにしながら△41の金にもヒモをつけ、またどこかで△27角成と飛び込めれば、△57の桂と連動して、すこぶるきびしい手になる。
先手は飛車を渡すと△69飛の一撃で即死するので、角も金も取れないのだ。
見事なしのぎで、将棋はそのまま井上の必勝形に。
しかも持ち時間も久保が5分なのに、自分は30分以上も残している。
「勝てる……」と、ここでようやっと優勢を意識した井上だが、その瞬間にヨレ出すというのは将棋のお約束でもある。
(続く)