升田幸三と言えば、「ポカ」である。
ヒゲの大先生と言えば、
「升田流角換わり」
「升田式石田流」
「駅馬車定跡」
などなど、天才的な序盤戦術とともに語られるべきは、信じられない大ポカ。
「升田のポカ」というのは有名で、またそれが、「高野山の決戦」や宿敵木村義雄との名人戦など、大勝負に出現することも多いというのが、また語り草になるところ。
そこで今回は、その「升田のポカ」にスポットライトを当ててみたい。
1953年、第8期A級順位戦。
升田幸三八段と、原田泰夫八段の一戦。
升田は前期に名人戦の挑戦者になったが、今期は不調で、なんと開幕3連敗。
名人挑戦どころか、ちょっと下が気になるイヤな流れになっているが、この将棋もまた、それを表わすような内容になってしまうのだ。
升田が先手で相掛かりから、双方とも似たような陣形を組んでいく。
図は原田が▲45歩と突いて、升田が△44にいた銀を下がったところ。
なんてことない局面に見えるが、実はここで決め手級の一撃があったのだ。
▲25桂、△22(24)銀、▲37角で「オワ」。
少し前に、△55銀と出て突っ張ったのが、升田の不調を表わすような乱れだった。
不安定な位置に取り残された銀をねらって、まずは▲25桂と跳ねる。
これには銀がどう逃げても、▲37角と打たれたら助けられない。
真部一男九段の『升田将棋の世界』によれば、△55銀と出たとき、升田はこの筋に気づいたそうで、
「今日はどうもいかん」
そう思ったそうな。
名人を取ろうかというトップ棋士が、素人がやりそうなポカをやるのだから、そりゃガックリもくるだろう。
この場面は▲58玉としてくれたから九死に一生を得たが、原田からすれば、まさか升田が、こんな簡単なウッカリなどするはずがない、と思いこんでしまったのかもしれない。
ホッとしたのもつかの間、ヒゲの大先生の調子はなかなか上がってこず、この△54歩と突いた手が、またヒドイ悪手。
またもや大ポカで、後手陣には、決定的な不備がある。
これが「先後同型」だったら、この手はなかったのだが……。
▲22歩と打つのが、教科書通りの好打一発。
△同金は壁になって形が乱れて、相居飛車戦ではよく見られる手筋……なんてヤワな話じゃない。
そこで▲31角と打てば、なんと金銀両取りで「オワ」なのだ。
浮き飛車と、△54歩の組み合わせが最悪なのが、わかっていただけるだろう。
このポカには、どうも原因があったようで、このころ升田は、慢性の盲腸炎に悩まされており体調は最悪。
この将棋の記録係を務めていた河口俊彦八段によると、風邪気味で、鼻をグズグズ鳴らし、駒を並べるのも大変そうという有様で、
「ああ、苦しゅうてならん」
体と局面、どちらも最悪とあっては力も出ず、△33桂と跳ねるが、▲21歩成と、なんの代償もなくと金を作って、明らかに先手が優勢。
しかもこれが、やはり▲22と、△同金、▲31角が残って先手になっているから、手番ももらえないとか、後手からすれば踏んだり蹴ったりである。
労せずして大優勢になった原田は、最初こそ不調をなげく升田に対して「いつもの演技だ」と気を引き締めていた。
当時の棋士は序盤戦はのんびりと、おしゃべりしながら指すことが多く、その延長戦のボヤきであり、決して本気のそれではないと。
どっこい、こんなあからさまなポカが連打すれば、さすがの原田も「マジ?」と身を乗り出す。
しかも、体調不良とミス連発に心が折れたか、升田は床の間にゴロリと寝そべり、相手が指すと起き上がって指し、またゴロリ。
今では考えられない対局姿勢だけど、昔はおおらかだったし、「偉大なる」升田だからゆるされた行為でもあるわけだ。
一方、すでに温泉気分の原田は、さすがに笑みがこらえられず、先輩の狼藉もニコニコして、特にとがめだてもしないのだった。
ところが、この将棋が、おかしなことになりはじめる。
▲21歩成以下、△53銀、▲11とに△35歩と反撃するも、そこで▲26飛とふつうに受けられていたら、後手に指す手はなかった。
代わりに▲57角と打ったのが、飛車取りにしながら▲35の地点にも利かした、味のよさそうな手に見えて大悪手というのだから、将棋というのは恐ろしいものである。
「唯一のチャンス」と見た升田は△86飛と切り飛ばし、▲同歩に△36歩。
原田は▲12飛と、さっそくもらった飛車で攻めて好調子だが、ここで見ているほうは「ん?」となる。
たしかに先手が順調なようだが、飛車打ちに△42金と寄られると、存外に早い攻めが見えない。
先手は歩切れが痛く、攻めに厚みがない。
そこで▲34香と打つが、これではなんとも自信のない形で、ここは▲38香と辛抱しておけば、まだ先手が指せていたのだ。
後手は△37歩成と取り、▲同銀に△45桂が、いかにも調子のよい跳ね出し。
先手も勢い▲24角と切って、△同歩に▲33香成とせまるが、そこで△64角と打つのが、すこぶるつきに味のいい好打となった。
絵に描いたような攻防の一打で、なんとここではすでに後手が勝勢。
序盤で「と金得」など、プロレベルなら大差のはずが、アッと言う間にこうなるとは、原田はもとより、升田もおどろいたそう。
ヒゲの大先生からすれば、別に「死んだふり」をしていたわけでなく、本当にグッタリしていただけだが、これでは体調不良のフリをして、相手の油断を誘っていたようで、なんとも味が悪い。
この惨状に原田の顔は、いつの間にか真っ赤。ついには、
「いくら先輩とはいえ、寝そべるとは何事ですか!」
ガチ切れをかますことに。
さすがの升田も「すまんすまん」と頭を下げながら正座に戻ったそう。
だがこうなってはもう、形勢はいかんともしがたく、その後は投げきれない原田が、手の尽きるまで王手してから投了。
升田によると、いつもは明朗快活な原田も、さすがに声がなかったそうである。
盤上も盤外もにぎやかな、おもしろい一局であったが、それにしても、あんな底抜け2連発から、△64角のような美技で決めるなど、さすがの一言。
まったく、大先生は勝っても負けてもスターであるなあ。
(名人戦挑戦者決定戦での大ポカ編に続く→こちら)
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