「オワ」というのは、升田幸三九段がよく使った言葉である。
序中盤であざやかな構想や妙手を見せ、早々と勝敗の行方を決定してしまったときや、逆に信じられない大トン死を食らってしまったときなどに、
「この将棋は、これにてオワ」
私は世代的に升田幸三九段の現役時代は知らないが、多く書かれている升田論や、やはり升田将棋をリスペクトする先崎学九段のエッセイなどでも、よく見かける表現。
すごい手を食らって「おわあ!」とおどろいた状態かと思っていたが、なにかで「終わり」の略だと聞いたこともあり、くわしいことはよくわからない。
まあ「ビックリするような急転直下でおしまい」
くらいの感覚でいいと思うが、不思議なことに語源を検索してもなにも出てこないので、今では死語になっているのかもしれない。
1958年、第17期名人戦第7局。
升田の指した△44銀が、本人も生涯ベストと自賛した名人防衛を決定づける好着想。
意味は超難解だが、▲45歩と突かせてから△33銀と戻っておけば、先手の角、銀、桂がまったく使えない形となり後手が必勝(らしい)。
まさに「この銀上りでオワ」。
とはいえ、羽生善治九段をはじめ多くの棋士が
「一度は指して見たかった」
あこがれる升田幸三のパワーワードをこのまま埋もれさすのは惜しいので、今回はそんな「オワ」な一手を紹介したい。
2011年、第69期C級2組順位戦。
中座真七段と大石直嗣四段との一戦。
ここまで中座が3勝、大石は2勝と、双方星が伸びない中の対戦で、いわゆる「裏の大一番」という対決。
後手の大石が、当時流行していた一手損角換わりを選択。
局面は序盤、中座が飛車先の歩を交換し、大石が△45歩と突いて、▲46にいた銀をバックさせたところ。
まだ。なんということもない場面で、これからの将棋に見える。
初心者の方は△33角と打つ手が気になるかもしれないが、▲28飛で▲88の銀にヒモがつくからなんでもない。
ところが、この将棋はすでに後手が必勝。ここで必殺手があるのだ。
△46歩、▲同銀、△48歩で「オワ」。
なんとこのわずか3手で、先手はすでに指す手がない。
▲同金も▲同玉も金が逃げるのも、そこで△33角と打てば、▲48にある駒が壁になって▲28飛としても△88角成と取られてしまう。
この歩打ち自体は部分的には手筋だが、一回△46歩とワンクッション入るところが盲点になったか、中座はこの手が見えなかった。
これで先手は、どうもがいても金か銀をなんの代償もなくボロっと取られてしまう。
序盤の駒組も終わってない段階で、これはヒドイ。
私だったら、バカバカしくなって投げる。いや実際、中座だって他の棋戦なら投了しただろう。
しかし、これは順位戦である。
しかも、中座はここまでまだ3勝。
この期は順位がよく、また最終戦もあるため、すぐに降級点を食らうわけではない。
それでも万にひとつ、こんな負けを食ったことが最悪の結果を生んでしまったら、泣くに泣けないではないか。
以下、中座は▲48同金、△33角に、歯を食いしばって▲27飛と引く。
当然の△88角成に▲77角と打って、△同馬、▲同桂、△88角と打たれて銀香損が確定。
▲78金に、△99角成。
すでに将棋は終わっているが、中座はその後、まったく勝ち味のない局面を99手まで指し続けた。
自らのふがいなさへの憤りや、脱力感をグッと飲みこんで、最後まで折れずに戦った執念もすごい。
ここから投了までの手順は、きびしいことを言えば棋譜としての意味や価値はほとんどないが、だからこそ、その無念さが伝わってくる。
この中座の悲壮なねばりこそ、まさに「順位戦の手」だが、そういえばこれも「オワ」と同様、最近ではあまり聞かなくなった言葉かもしれない。