フィンランド語を、ついに初めてみることになった。
このところ私は、
「世界のあらゆる語学をちょっとだけやる」
ということにハマっている。
ここまでフランス語とドイツ語(学生時代の復習)、スペイン語、ポルトガル語。
アラビア語は挫折したが、トルコ語、イタリア語もクリアし、オランダ語も少しかじった。
そして、ついには「ハイ・エンシェント」ことラテン語もやってと、チョコザップならぬ「チョコ語学」である。
まあ学ぶと言っても、せいぜいが1か月か2か月ほどで、身に付くのも「中1レベルの文法と単語」くらいなものだが、こんなもんでも、
Çoğu kertenkele adam solaktır.
(リザードマンの多くは左利きです)
Primogenitus larva gummi indutus apparuit.
(長男はゴムのマスクをかぶって登場しました)
Japanse soldaten zijn de sterkste ter wereld omdat ze misosoep drinken.
(日本の兵隊さんが世界一強いのは、みそ汁を飲んでいるからです)
くらいなら理解できるのだから、なかなかのものではないか。
「飽きたらやめる」がルールなので、ラテン語からそろそろ次に移行しようと、ここでついに「あの言語」に手を出すときが来たようだ。
それが、フィンランド語。
というと、フィンランド語はいいとして、なぜにて「ついに」などという大げさな副詞がつくのかと問うならば、これがいくつか理由がある。
それはまず、フィンランド語が「インド・ヨーロッパ語族」ではないということ。
われわれにとって、まずなじみのある外国語と言えば、これはもう英語なのである。
続けて、大学に行った方ならフランス語やドイツ語といった第二外国語に苦しめられた記憶もあろうが、実はこれらは違う言語のように見えて元は同じ。
古くはインドのサンスクリット語から、ペルシャ語とかラテン語とかロシア語とか。
そういった諸々の一見関係なさそうな言語は、これすべて「インド・ヨーロッパ語族」という「大家族」に分類されるのだ。
といっても、年月や地理的な分断で、流れ流れて全然別物にはなっているけど、語順とか、なんとなく似た単語が多かったり。
変遷の仕方をたどっていくと共通するものがあったりと、細くともつながりがある。
なので、それが多少は学習の助けになったりするのだが、これがドーンとフィンランド語は「ウラル語族フィン・ウゴル語派」。
全然違ってて、それこそ北欧と言えばノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランドと並ぶが、最後だけ他の3つとくらべて相当に異質。
「ありがとう」
ノルウェー語「takk」
スウェーデン語「tack」
デンマーク語「tak」
フィンランド語「kitos」
「犬」
ノルウェー語「hund」
スウェーデン語「hund」
デンマーク語「hund」
フィンランド語「koira」
「本」
ノルウェー語「bok」
スウェーデン語「bok」
デンマーク語「bog」
フィンランド語「kirja」
全然ちがうやん!
てゆうか、他の3つが似すぎというか、ほとんど三つ子なんだけど、それにしたって「四段オチ」かと疑いたくなるくらい変わってる。
しかも、フィンランドではスウェーデン語も公用語なのに、まったくちがう。どうなってんの?
これにですねえ、私はちょっとビビってしまっていたのだ。
というのも、イタリア語の前にトルコ語をやろうとしたのだけど、これに大苦戦したせい。
言語というのはドイツ語とオランダ語とか、スペイン語とポルトガル語のように、言語的だったり地理的だったりが「近い」と学習しやすい。
それは日本人にとって、読むだけなら中国語がそんなに怖くないのとくらべて、欧米人やアラビア人には漢字が悪夢になるのと同じ。
英語やドイツ語の知識や、経験をまるで生かせないフィンランド語やトルコ語に、いつの間にか苦手意識のようなものが宿ってしまっていたのだ。
しかしだ、そんな困難を乗り越えるほどに、私は、いやおそらくは同世代から少し前くらいの「第二外国語」学習者はフィンランド語というものに、あこがれのようなものを抱いている。
それは、ある一冊の本の存在。
タイトルは『フィンランド語は猫の言葉』。
(続く)