Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

α53H「渋沢栄一」 朝倉文夫, 1955.

2024-07-21 | Exhibition Reviews
 二十年ぶりに紙幣が新しくなりました。その一万円札を飾るのは渋沢栄一、三年前の大河ドラマ「青天を衝け」を思い出します。

 現在に至る日本経済の礎を築いた人物がデザインされ、これまでの紙幣偽造防止技術に加え、3Dで表現された肖像が回転する最先端技術も採用されているそうです。

 ところで、東京駅に程近い常盤橋の傍に佇む渋沢栄一像が最初に建立されたのは没後二年経った1933(昭和8)年、当時の日本が国際連盟を脱退し、国際社会から孤立してゆく世の在り様が彼の瞳にどう映ったのでしょうか。

 ひょっとしたら、あるべき姿は唯一つであったとて、関わる人それぞれにその行き着く道筋は幾多にも分かれ、それぞれの世界が待ち受けているかもしれぬことをしっかりと見つめているのかもしれません。

初稿 2024/07/21
写真「青洲 澁澤栄一」朝倉文夫, 1955.
撮影 2022/12/17(東京・常盤橋)

♪64「あれから約二十年」

2024-07-07 | Season's Greeting
 コロナ禍によってテレワークが定着してきたとはいえ東京勤務が六年ほど経ちました。実は今月から約二十年ぶりのつくば勤務です。

 新婚生活を始めた街を歩くと、子供たちの成長の軌跡を思い出しながら、その生活を支えてくれた妻に感謝です。

 ところで、かつてそこに在ったものと、いまここに在るものが同じものもあれば、それがそうではないものもあって、眼に映る光景はどれもどことなく新鮮な印象です。

 ひょっとしたら、かつてがどうあれ、眼に映るありのままの姿そのものを、そのままに観ることが大切なのかもしれません。

初稿 2024/07/07
写真 H-Ⅱロケット(実物大模型)
撮影 2024/07/06(つくば・エキスポセンター)

§173「白痴」ドストエフスキー, 1868.

2024-06-16 | Book Reviews
 邦訳の題名からは、なんらかを患っているような〈誰か〉への偏見や差別を含む印象を受けますが、読むにつれてそれがそうではないのではという印象に変わっていきました。

「自分が白痴だと言われていることを、私はちゃんと承知しているのですから、まさかそんな白痴はいないでしょうよ」(上巻p.138)

 分かりあえない、もしくは分かりあおうとしない〈誰か〉を、もはや〈わたし〉が分かりあおうとする必要はないような気がします。

 ところで、なぜそれがそうなのか?という問いそのものが成り立たないとき、眼前の世界は同じように観えてはいても、それぞれが観ている〈世界〉は異なっていて、それぞれの価値観や正しさとかも相容れないのかもしれません。

「その理由はただそうしたいからなので、そうしたいことは、つまり、そうしなければならぬことだからだ」(上巻 p.75)

 ひょっとしたら、〈誰か〉にそんな矢を射ようとするとき、実は〈誰か〉からその矢を射られようとしているのかもしれないことを、この小説は示唆しているのかもしれません。

初稿 2024/06/16
写真「弓を引くヘラクレス」1909.
撮影 2024/05/18(東京・国立西洋美術館)

#94「いづれかの道のとある番地」

2024-05-19 | Liner Notes
 大学三年生の長男が就活セミナーに参加するために東京へ訪ねてきた折、その前日に行ってみたい処があるから一緒に行こうと誘われたのが、いわゆるシェア型書店でした。

 本棚の一画を出版社や個人らが棚主として借り受けて、新書や自費出版本だけでなく、自らの蔵書を古本として販売したり、はたまた自らの蔵書の一部を非売品として展示するなど、様々な棚主がそれぞれの思うところをその棚に存在させているかのようです。
 
 「X通りのY番地」

貸付ける本棚の区画毎にそんな意味のラベルが貼られ、碁盤の目のような街区を摸したその本棚そのものは、もうひとつの〈世界〉なのかもしれません。

 長男の後姿を眺めながら、自らが歩もうとする道が歩むべき道であるかは分からないにせよ、歩み始めると自ずから何処かに至るはずで、それが何処であろうとも其処こそが〈あなた〉の居場所としての〈世界〉であるような気がします。

初稿 2024/05/19
写真 PASSAGE by ALL REVIEWS
撮影 2024/05/18(東京・神田神保町)

#93「二年前の君と二年後の君達へ」

2024-05-13 | Liner Notes
 少し前の話ですが、ゴールデンウィークに社会人一年目の長女が東京から福岡へ飛行機で、大学三年生の長男が京都から新鳥栖へ新幹線で帰省しました。

 社会人一年目の長女は、帰省してほっとしたせいか微笑みながらも実感している社会人の大変さを垣間見せる一方で、大学三年生の長男はそんな姉をよそ見に、来たるべき就職活動の不安や心配を覗かせているような気がしました。

 ところで、長女が二年前のインターン※1で訪れた場所を再び家族で訪れてみました。干満の差が最大6mという有明海から忽然と姿を現すその道は、まさに「月の引力が見える町」であるかのようでした。

 ひょっとしたら、現在から歩む道が誰であれ分からないにせよ、そこには必ずなんらかの道標があるはずで、なにがあろうとも前を向いて眼前に拡がる世界をしっかりと見て、それがいったいなんであるかを考えることが大切なのかもしれません。

 それぞれの帰省経路は違うにせよ、長女と長男が帰途につく際、車で福岡空港と新鳥栖駅まで見送りましたが、しっかりと前を向いてそれぞれの道を歩んで欲しいと改めて思いました。

追伸 中学二年生の次女へもまた、私と妻のそんな思いが詰まった本※2を手渡しましたが、はたして読んでくれるかな。

初稿 2024/05/13
写真 海中道路
撮影 2022/08/11(佐賀・太良)
※1)#73「もうひとつのインターンシップ」
※2)§137「14歳の君へ」池田晶子, 2006.