Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§49「翔ぶが如く」(大久保利通) 司馬遼太郎, 1980.

2016-03-16 | Book Reviews
 西郷隆盛とは幼馴染み、彼が黙して語らず英雄視されたこととは対称的に、大久保利通は多くは語らないものの、自らが英雄視されるのではなく、英雄像を創りだしたのかもしれません。

 分析心理学における元型(アーキタイプ)として英雄を捉えた場合、錦の御旗は日本人が古来から抱く絶対不可侵の英雄像をイメージさせ、攘夷という狂気としての集合的無意識をある方向に導く言わば作用点。

 逆に言えば、近づき難く侵し難い英雄像を創りだすことは、誰であろうとも英雄になることは能わず、言い換えると莫大なエネルギーを潜む集合的無意識を勝手に行使させない為のフェールセーフ機能なのかもしれません。。

 それが、大久保利通が後進に引き継いだ偉業の核心のような気がします。

初稿 2016/03/16
校正 2020/12/16
写真 皇居正門石橋
撮影 2012/09/30(東京・皇居)

§48「翔ぶが如く」(西郷隆盛) 司馬遼太郎, 1980.

2016-03-05 | Book Reviews
 約二六〇年の幕藩体制は身分制度と封建制度に基づく秩序。その秩序を揺るがす夷荻は悉くすべからく排除することが攘夷。

 その秩序を護れない幕府は見限られ、雄藩主導の新政府が中央集権国家として成立し、開国したうえで富国強兵を実現していく過程は言わば、歴史における必然的な因果性にほかならないような気がします。

 とはいえ、雄藩を主導した維新三傑のひとりである西郷隆盛は、攘夷という狂気としての言わば集合的無意識を統制したのかもしれません。

 また、維新を主導した彼が西南の役をも主導したことについては、因果性では説明出来ない何かが潜んでいるような気がしてなりません。

 征韓論が潰え、陸軍大将のまま中央から下野し、旧士族の不平不満を解決する英雄として認識された西郷隆盛。私利私欲を望まず、黙して多くを語らない彼を尊敬し従う側近自らが、彼の意を汲む過程で自らをも「英雄・西郷隆盛」と同一視してしまったのかもしれません。

「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」

 歴史を紐解けば、大局的には因果性に支配されているようにみえても、局所的にはその変曲点においては、集合的無意識に宿る途方もない力を解放させてしまうプログラムが潜んでいるような気がしてなりません。

初稿 2016/03/05
校正 2020/12/18
写真 「上野の西郷さん」像, 1898.
撮影 2015/11/25(東京・上野恩賜公園)