Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

α44F「晨」朝倉響子, 1966.

2023-09-29 | Exhibition Reviews
 朝倉響子の作品には、漢字一文字の同じ名でありながらも、違うデザインのものが幾つかあります。「晨」は少なくとも三つあり、読み方は"あした"、意味は"夜明けを告げる"ということだそうです。

 "夜明け"は自然が創りだす世界ですが、"夜明けを告げる"のは、必ずしも陽の光が有ろうと無かろうとも、"あした"に向かって膨大な言葉のなかから無限の意味を選ぶ〈わたし〉が創りだす世界もあると思います。

 ところで、無限の意味を持つ膨大な言葉のなかからある視点で選んで記された書物はそれを記した〈あなた〉という存在そのものに収束するのかもしれず、その書物を読むことによって、その言葉が〈わたし〉を語っているような気がします。

 とある図書館の書棚の傍らで立ちあがって耳を澄ます少女の像の瞳には、ひょっとしたら、〈わたし〉という存在を照らす夜明けの光が映しだされているのかもしれません。

「人間が日頃使っている言葉が、私たちの人生をつくっているの。それをしっかりと理解することがまず大事なことなの。言葉はあらゆるものを導くわ」※

初稿 2023/09/29
写真 「晨」朝倉響子, 1966.
撮影 2023/04/23(東京・都立図書館)
出典 ※)「賢者の書」喜多川泰, 2009.(p.168)

α43F「晨」朝倉響子, 1982.

2023-09-24 | Exhibition Reviews
 朝倉響子の作品には、漢字一文字の同じ名でありながらも、違うデザインのものが幾つかあります。「晨」もその一つで読み方は"あした"、意味は"夜明けを告げる"ということだそうです。

 "夜明け"は自然が創りだす世界ですが、"夜明けを告げる"のは、陽の光を浴びてまだ見ぬ"あした"に向かってありのままの姿で立ちあがろうとする〈わたし〉が創りだす世界もあると思います。

 ところで、自然が創りだす世界は宇宙を創りだした大いなる力が無限のありようをもたらすのと同じように、〈わたし〉が創りだす世界もまた膨大な言葉によって無限の意味をもたらすことに気づきます。

 とある災害医療センターの玄関にありのままの姿で立ちあがろうとする少女の像は、ひょっとしたら、観る〈わたし〉にとって無限の大いなる力の存在を物語っているような気がします。

「君にも無限の可能性があるんだよ。君はそう信じようとしているかもしれないが、それは正しくない。君はその事実に気づかなければならない。そう信じるのではなく、それに気づくんだ」※

初稿 2023/09/24
写真 「晨」朝倉響子, 1982.
撮影 2023/02/18(東京・都立広尾病院)
注釈 ※)「賢者の書」喜多川泰, 2009.(p.66)

α42F「晨」朝倉響子, 1974.

2023-09-15 | Exhibition Reviews
 朝倉響子の作品には漢字一文字の名を冠する作品も幾つかあります。「晨」もその一つで読み方は"あした"、意味は"夜明けを告げる"ということだそうです。

 "夜明け"は自然が創りだす世界ですが、"夜明けを告げる"のは、陽の光を浴びてまだ見ぬ"あした"に顔を向けようとする〈わたし〉が創りだす世界だと思います。

 ところで、まだ見ぬ"あした"に顔を向けようとしない〈わたし〉が創りだしてしまう世界もあると思います。それは誰もが人知れず抱く不安であるかもしれず、その慎重さゆえに結果を恐れているような気がします。

 ひょっとしたら、あらゆる言葉はあらかじめそれぞれにさまざまな意味をもち、その言葉を自ずから分けている存在が〈わたし〉なのかもしれません。

「あなたの言葉を一番聞いているのはあなた自身なの。そしてあなたは誰の言葉よりも自分自身の言葉に強い影響を受けて人生をつくっているの」※

初稿 2023/09/15
写真 「晨」朝倉響子, 1974.
撮影 2023/02/18(東京・サンパール荒川)
注釈 ※)「賢者の書」喜多川泰, 2009.(p.173)

α41F「夏」朝倉響子, 1984.

2023-09-08 | Exhibition Reviews
 朝倉響子の作品名には、「セーラ」や「ミシェル」といった人の名前であったり、「woman」や「少女」といった人々の総称を多く用いられています。

 人の名前を冠する作品は、それぞれが抱える不安や心配を乗り越えようとする姿を、そして人々の総称を冠する作品は、誰もが抱えるかもしれない悲しみや苦しみを受け入れようとする姿を眼前に存在させているような気がします。

 ところで、漢字一文字の名を冠する作品も幾つかあり、「夏」という言葉は真夏の太陽に照らされて躍動する生命力をイメージさせてくれます。

 とある児童相談所の柵からはじけるように噴き出す緑のみずみずしさとその先を見つめる少年の姿はまさに、そういった大いなる力の存在を物語っているのかもしれません。

追伸 まったく同じモデルの作品である「SUMMER」※1とはまったく異なる印象を与えてくれます。

初稿 2023/09/07
写真「夏」朝倉響子, 1984.
撮影 2023/05/28(東京・足立児童相談所)
注釈 ※1) α22B「SUMMER」朝倉響子, 1984.

§169「虐げられた人々」ドストエフスキー, 1861.

2023-09-01 | Book Reviews
 小さな工場を経営していた老人・スミスの死、彼の孫・少女ネリーの死、そして浮かび上がるスミスの娘でありネリーの母でもあるザリツマンの死という〈世界〉の終わり。

 一方で、小さな農場を経営していた義理の父・イフメーネフと娘・ナターシャが和解した結果、彼女と共に人生を歩むことになった〈わたし〉ワーニャのもうひとつの〈世界〉の始まり。

 ところで、そのふたつの〈世界〉を結びつけたのは、彼女達をかどわかし、その親をも騙して資産を搾取したワルコフスキー公爵の存在に他ならぬものの、その罪と罰を敢えて問わぬのには、著者の意図があるような気がします。

 もしかしたら、〈世界〉は〈わたし〉と〈あなた〉と〈それ以外〉の三人称で構成されているのではと思うことがあります。〈わたし〉であれ、〈あなた〉であれ、〈それ以外〉の人々であれ、虐げた人々と虐げられた人々の〈世界〉が存在するのは何故か?を深く考えさせてくれるのかもしれません。

「なぜ期待できる以上なものを期待したのだろう」(p.254)

初稿 2023/09/01
写真 「女 Woman」朝倉響子, 1970. (cf. α32D)
撮影 2023/01/25(東京・平河町)