もし、ソクラテスが現代社会に帰ってきたら、こういう風に考えるのではという大胆な仮定のもとに、ソクラテス夫婦の日常会話を描いたコラム集の続編です※
ごく当たり前に、世の中はこうなっている、普通とはこんなものと、なんら疑いを持つことなく知っていると思っていることは、ひょっとしたら思い込みに過ぎないのかもしれません。
「どこまでも人間を社会的なランクの側からしか見ることができない、こういう人間こそ僕から見りゃ、最低のクラスにランクされる人間だね」(p.169)
たしかに、なぜ、世の中がそうなっているのか?そんなものがなぜ普通なのか?ごく当たり前に認識されている言葉の意味すら何も知ってはいないのかもしれません。
「無知の知」というソクラテスの言葉を知っているだけでは、なんら知っていることにはならず、その言葉の意味することを考えることが人生にとって大切なことのような気がします。
初稿 2022/02/26
写真「啓示」日高正法, 1994.
撮影 2016/05/22(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
注釈※)§141「帰ってきたソクラテス」池田晶子, 1994.
ごく当たり前に、世の中はこうなっている、普通とはこんなものと、なんら疑いを持つことなく知っていると思っていることは、ひょっとしたら思い込みに過ぎないのかもしれません。
「どこまでも人間を社会的なランクの側からしか見ることができない、こういう人間こそ僕から見りゃ、最低のクラスにランクされる人間だね」(p.169)
たしかに、なぜ、世の中がそうなっているのか?そんなものがなぜ普通なのか?ごく当たり前に認識されている言葉の意味すら何も知ってはいないのかもしれません。
「無知の知」というソクラテスの言葉を知っているだけでは、なんら知っていることにはならず、その言葉の意味することを考えることが人生にとって大切なことのような気がします。
初稿 2022/02/26
写真「啓示」日高正法, 1994.
撮影 2016/05/22(大阪・御堂筋彫刻ストリート)
注釈※)§141「帰ってきたソクラテス」池田晶子, 1994.