三島由紀夫の遺作「豊穣の海」最終章。一生を賭けて、旧友・清顕の輪廻転生を追究してきた年老いた本多が自らの最期を悟り訪れたのが、旧友・清顕と結ばれなかった聡子が住まう月修寺。
その門跡となった年老いた彼女曰く、「そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?」
「自らは誰であるか?」という根元的な問いがいざなうのは、「ひょっとしたら、自らは存在していないのでは?」という究極な〈不条理〉なのかもしれません。
結果には必ず原因が存在し、原因が存在すればこそ、必ず結果をもたらすはず。でも、原因が突如として存在しなくなった時、もたらされる結果は〈不条理〉に他ならないのかもしれません。
「豊穣の海」を脱稿した昭和45年11月15日。楯の会数人と陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に赴き、最期に詠んだ辞世の句。
「散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」
初稿 2018/09/15
校正 2020/10/03
写真 不条理と存在のはざま
撮影 2018/05/01(兵庫・関西学院大学)
その門跡となった年老いた彼女曰く、「そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?」
「自らは誰であるか?」という根元的な問いがいざなうのは、「ひょっとしたら、自らは存在していないのでは?」という究極な〈不条理〉なのかもしれません。
結果には必ず原因が存在し、原因が存在すればこそ、必ず結果をもたらすはず。でも、原因が突如として存在しなくなった時、もたらされる結果は〈不条理〉に他ならないのかもしれません。
「豊穣の海」を脱稿した昭和45年11月15日。楯の会数人と陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に赴き、最期に詠んだ辞世の句。
「散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」
初稿 2018/09/15
校正 2020/10/03
写真 不条理と存在のはざま
撮影 2018/05/01(兵庫・関西学院大学)