Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§105「王妃 マリー・アントワネット」 遠藤周作, 1980.

2020-06-30 | Book Reviews
 時は国王が絶対的な権力を行使したアンシャン・レジーム。中世より欧州に君臨した名家・ハプスブルク家最後の当主マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネット。そして、うりふたつの容貌をもちながらも、生まれた時から孤独と貧困に耐え続けてきたマルグリット。
 
 そんな彼女に文字と言葉、そして信仰を教えた修道女・アニエスがつぶやいた言葉。

「社会の改革、貧しき者との連帯を伴わない信仰は一片の紙屑に過ぎぬような気さえした」(下巻49頁)

「革命は正しい、でもそれは人間を尊重するためで、人間を侮辱するためにあるのではないんだわ」(下巻326頁)

 生まれや身分による差別や偏見がもたらす妬みや怨みは、自由という名の下に無慈悲で理不尽な暴力を生み出しかねず、生まれや身分によらぬ平等な社会を実現するために戦う人々を抱擁する覚悟を顕したのが、三色のトリコロール「自由、平等、博愛」だったのかもしれません。

 マリー・アントワネットが断頭台の露に消えた時、うりふたつの彼女をあれだけ妬み、怨み続けたマルグリットが流した涙と「すべてが終わった」とつぶやいた言葉は、自らの無意識に潜む「影」との決別だったような気がします。

初稿 2020/06/30
校正 2021/05/02
写真 マリー・アントワネットの庭(奇跡の星の植物館)
撮影 2020/06/28(兵庫・淡路夢舞台)

#49「原 風 景(父の日)」

2020-06-21 | Liner Notes
 緊急事態宣言解除から約一カ月。都道府県を跨ぐ移動自粛もようやく解禁したので、約四カ月振りに家族のもとへ。

 オンラインやリモートという言葉がごく当たり前のように耳にすることが増え、音声と映像によって伝えることで、離れていてもあたかもそばにいるかのような体験ができるようになった気がします。

 でも、そういった体験に慣れない父に、これまで生きてきた約八十有余年に亘る経験の一部を思い出深くたどる体験をと思い、父の日のプレゼントとして贈ったのが、昭和の佐賀を映した写真アルバム。
 
 連続的な記憶はいずれ追憶の彼方に消えゆくものの、離散的な記憶は経験という物語を呼び起こすのかもしれず、ひょっとしたら母と出逢った県庁前のお濠端の古い写真も二人にとっては原風景の一つだったのかもしれません。

初稿 2020/06/21
校正 2022/01/08
写真 起雲閣
撮影 2019/12/24(静岡・熱海)

#48「Young Bloods」 佐野元春, 1985.

2020-06-14 | Liner Notes
 緊急事態宣言の解除から早三週間、社会行動や経済活動が段階的に再起動していますが、感染第一波の収朿があたかも偶然であるかのような意見をたまに耳にします。

 数理モデルという理論疫学が初めて政策に反映され、対策なかりせば人口の八割が感染、約四十万人が死亡する恐れがあるといった危機意識の喚起。

 一方で、その八割は他人に感染することはなく、残りの二割が三密の条件が重なった場所で一人から大勢に感染するという事実に基づいた対策。

「どういう理由でその対策が必要であって、その結果どういった成果が得られたのかをしつこいくらい分かりやすい言葉で広く伝えることが大切」
(ある医療関係者のコメントより)

「鋼鉄のような智慧 輝き続ける自由
 願いを込めて ここに分け合いたい
 Let's stay together 

 ひとりだけの夜にさよなら
 いまこの思いが君に響けば」
(Lylics by Motoharu Sano)

 一緒にいることで固定観念に縛られ、心配や不安を煽り、たやすい批評や批判に流れるのは、一緒にいながらも孤独であるのかもししれません。

 おそらく、感染の第二波、第三波に遭遇するかもしれませんが、客観的な合理性に基づいて固定観念に縛られない自由な思考や表現を通じた価値観も「ニューノーマル」のひとつのような気がします。

初稿 2020/06/14
校正 2022/01/07
写真「鋼のような智慧が繋ぐ未来」
撮影 2018/12/21(東京・レインボーブリッジ)

#47「Wild Hearts(冒険者たち)」 佐野元春, 1986.

2020-06-07 | Liner Notes
 緊急事態宣言の解除に伴い、週1~2回程出勤するようになり、「ウイズコロナ」や「ニューノーマル」といった言葉をよく耳にするようになりました。

 とかく、感染抑止の観点で新たな生活様式に向けた行動変容の重要性が語られがちですが、ひょっとしたら社会や自らの価値観を大きく見直さざるを得ない契機になるような気がします。

 社会人として約四半世紀の時を経て振り返ると、誰もが成功体験に基づく最大公約数的な「正解」を求められ、応えてきたのかもしれず、誰かが「なぜ?」を問いかけることは、誰もが控えてきたのかもしれません。

「すべての「なぜ?」に
 いつでも答えを求めていたあの頃
 いつか自由になれる日を
 あてもなく夢見てた

 誰かがどこかで
 眠れぬ夜明けを見つめている
 誰もがこころに
 見知らぬ夜明けを抱えている」
 (Lylics by Motoharu Sano)

 プライベートレーベル「M's Factory」を設立した1986年。シングルリリースは年1~2回といった当時の音楽業界の常識を覆した隔月リリース3連作※のエピローグ。

 約四半世紀の時を経てあらためてその3連作を聴いてみると、変化の兆しを意識しつつ、その変化に調和しながらも、あくまでも自己に立脚した自由な思考や表現を通じた価値観が、「ニューノーマル」のひとつのような気がします。

※1986.5.21~隔月同日リリース3連作
#85「Strange Days(奇妙な日々)」
#86「Season in the sun(夏草の誘い)」
#87「Wild Hearts(冒険者たち)」

初稿 2020/06/07
校正 2022/01/06
写真「眠れぬ夜明けのむこうがわ」
撮影 2020/06/05(兵庫・武庫川)

#46「Season in the sun(夏草の誘い)」 佐野元春, 1986.

2020-06-01 | Liner Notes
 在宅勤務による運動不足の解消も兼ねて始めたウォーキング。近くを流れる河沿いにあるビオトープは夏草の息吹を感じます。

 ビオトープとは、ある一定の自然環境条件下で微生物から生物、植物、動物が生息する地理的空間だそうです。そこに足を踏み入れて、耳をすませば、言葉を介することなく、お互いが依存しあい、お互いを調和させる空間を実感します。

「緑の風に 木々のざわめき
光はこぼれて 夜明けにくちずさむ
柔らかなメロディ 大地の温もり
実りは豊かに 奇跡を運ぶよ
 〜
いつだって君のことが気になって
言葉を知らない小鳥のように」
(Lylics by Motoharu Sano)

 1986年当時、別のアーティストがリリースした同名曲が大ヒットしていましたが、どちらかと言えば、当時の僕には佐野元春のこの曲が、現在の私にとっても印象に残り続けています。

 音楽ビジネスという厳しい競争環境のなか、1986年当時手掛けたプロジェクトは、プライベートレーベル「M's Factory」、責任編集した季刊誌「THIS」、ファンとの定期ミーティング「Tokyo Monthly」をはじめとして数知れず。

 言いなりにならず聴く耳を持つこと。そして自らの主張に責任を負うこと。緊急事態宣言がようやく解除されたコロナ後の社会で求められるのはこういった覚悟なのかもしれません。

初稿 2020/06/01
校正 2022/01/05
写真 浅羽ビオトープ
撮影 2020/05/05(埼玉・高麗川)