Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

#45「Strange Days(奇妙な日々)」 佐野元春, 1986.

2020-05-23 | Liner Notes
 コロナ禍のおかげで在宅勤務も早二ヶ月。なんとなく、コロナ後の社会は何かが変わるような気がします。

 一体感が求められるこれまでの職場環境は、どちらかといえば様々な感情やあらゆる関係性に注意を払おうとする意識が高まっていたのかもしれません。

 一体感が感じにくい在宅環境だからこそ、ひょっとしたら様々な価値観やあらゆる情報に触れようとする意識が高まっているのかもしれません。
 
「城の石垣は石の組み合わせ。そんな石のひとつひとつをよく見てみると、形も重さもばらばらだけど、そんな石を組み合わせたほうが強い城壁となるんですね」
(あるCEOのインタビューコメントより)

 一体感は孤立や孤独を生み出しにくい代わりに、様々な価値も生み出しにくいのかもしれません。だからこそ、ひとりひとりの個性や特徴をよく理解して、家族や自らが所属する組織やステークホルダーにとって最適な選択と行動をとろうとすること。コロナ後の社会ではそんなことが求められるような気がします。

「悲しいけれど 俺には分からない
 いま君の目の前で
 何かが変わり始めようとしている
 あの光の向こうに突き抜けたい
 闇の向こうに突き抜けたい
 この夜の向こうに突き抜けたい」
(Lylics by Motoharu Sano)

初稿 2020/05/23
校正 2022/01/04
写真 穴太衆の石垣
撮影 2016/09/25(滋賀・近江坂本)

#44「変わりたい唄」 阿部真央, 2018.

2020-05-19 | Liner Notes
 「本を読んだら何か変わるのかな?何を読んだらいい?」

サッカー選手を志して片道二時間の通学を覚悟で入学したものの、コロナ禍による思いもよらない休校のおかげで、突然時間を持て余すことになった高校二年生の長男。

 私の本棚から何冊か手に取るようになり微笑ましかったのもつかの間、よく訊くと一年間必死でサッカーを取り組んでみたものの、思い通りには芽が出ないので、ひょっとしたら自らの進路を考えざるを得なくなったのかもしれません。

 孤立を恐れて言いなりになる人もいれば、孤立を恐れずに突き進み孤独になる人もいます。言いなりにならず、聞く耳をもつことが自立であり、それが本当の自分のような気がします。

「いったい何になりたいの?
 負けたくないのは何故なの?
 誰かに勝ちたいと思ううちは
 何処にもいけないね
 変わりたい もっと自分をいきたい
 誰かの私ではもういられない だからいくよ
 君が決めれば 世界は動く
 本当の君が そう望めば
 君が決めれば 世界は必ず そのとおり」
(Lylics by Mao Abe)

初稿 2020/05/19
校正 2022/01/03
写真「変わろうとする志」
撮影 2020/5/17(埼玉・坂戸)

#43「原 風 景(母の日)」

2020-05-17 | Liner Notes
 母は昭和十一年に南満州鉄道に勤めていた祖父の末娘として満州で生まれ、終戦間際のソ連侵攻時には、敢えて男の子の恰好をした姉と自宅の屋根裏で息を潜めて怯えながら、祖父の弟を頼って佐賀に引き揚げてきたそうです。

 母は小児喘息を患っていた幼い私を背負って中小路の病院に連れて行く時は、松原川のほとり馬責馬場の実家に寄った後に、よく連れて行ってくれたのが呉服元町・中央マーケットの「ぎょうざ屋」さんでした。

 もともと、中央マーケットは満州から引き揚げてきた人々が力をあわせて築いた商店街だそうで、「ぎょうざ屋」さんの味もどことなく満州の風土を受け継いでいたからこそ、母や私にとっての原風景のひとつなのかもしれません。

「母の日のプレゼントなんてもうよかよ」

と電話で話す母も足を患ってからは、佐賀の街に出かけることも久しくなっていました。

 そんななか「呉服元町商店街」という写真集に偶然めぐりあったおかげで、年老いた母もひょっとしたら若く幼い頃を思いで深くたどれたような気がします。 

初稿 2020/05/17
校正 2022/01/02
写真 中央マーケットのぎょうざ屋さん
校正 2024/01/28
撮影 2023/05/06(佐賀・呉服元町)

§104「女の一生」(第二部 サチ子の場合) 遠藤周作, 1982.

2020-05-11 | Book Reviews
 約六十年に及ぶ大日本帝国の政治的正統性は天照大神の末裔とされる天皇から治政を負託されたことに由来し、その神以外を奉ずる宗教は国家的秩序を揺るがしかねない敵性宗教として偏見の対象となった。

「兵隊の満州で血ば流しとるていうとに、あんたらはよう、そげん外国人の宗教ば信じとるな。兵隊さんにすまんて思わんとか」(35頁)

 大日本帝国治政下において二度目の原子爆弾による被爆地となった長崎は、戦艦武蔵をはじめとする艦船やあらゆる兵器を製造する軍需都市であり、日本のカトリック三大司教区のひとつ。

 そんななか、ごく普通に暮らしていた信者の一人、修平は海軍特攻隊に志願せざるを得なかった。

「たとえそれが戦場であれ、私が誰かを殺す以上、私は、他人の人生を奪ったという、その償いをせねばならぬ」(443頁)

 一方で、かつてキクが清吉を想ったように、従妹だったミツの孫、サチ子もまた修平を想い、マリア像に向かって一心に祈る。

「どうか修平さんば危なか目に会わせんで下さい」(376頁)

 時は移ろうとはいえ、人を想う気持ちは、その人たちが生きた時代や環境がいかに不条理に映ることがあっても、同じ河の流れのように絶え間なく続いていくような気がします。

 ひょっとしたら、どんな時にでも傍にいてくれたあなたに感謝し、そんなあなたのことが大切だと想うからこそ、あなたらしく生きて欲しいと心から想うことが、「自己実現」への第一歩なのかもしれません。

初稿 2020/05/11
校正 2021/05/02
写真 越辺川の菜の花
撮影 2020/04/12(埼玉・坂戸)

§103「女の一生」(第一部 キクの場合) 遠藤周作, 1982.

2020-05-04 | Book Reviews
 約四百年に及ぶ幕府の政治的正統性は天照大神の末裔とされる天皇から治政を負託されたことに由来し、その神以外を奉ずる宗教は国家的秩序を揺るがす邪宗門として迫害の対象となった。

 江戸幕府治政下における四度にわたるキリスト教信者の迫害とされる浦上四番崩れの舞台となった長崎は、日本のカトリック三大司教区のひとつ。

 約三千もの信者が追放された地にて棄教を迫られ、再び故郷・浦上の地を踏んだのは約五年後、清吉もまたその一人。

 一方で、信者ではないキクは聖母マリア像に彼への想いをつぶやく。

「あんたはどなたかは知らん。ばってん清吉さんが崇めとる女たい。女ならうちのこん気持ち、わかってくだされ。おねがいします。清吉さんば辛か目に会わさんごとしてくだされ」(p.240)

 そのつぶやきは願いから期待に変わり、叶えられないように感じる時には妬みや怨みに移ろいながら、いつしか祈りへと変わっていったような気がします。

「清吉さんのためうちにできたことは・・・少しのお金ばつくってやったことだけ。ばってん、そんお金のために・・・体ばよごさんばいかんやった」(p.421)

 清吉が再び故郷・浦上の地を踏んだ二年前の冬、彼女は聖母マリア像の下で短い人生を終えました。

 キリスト教といえど、人を想う気持ちといえど、その人たちが生きた時代や環境のなかでは不条理に映るときがあるかもしれません。

 ひょっとしたら、不条理な時代や環境のなかでこそ、自らの心の奥深くに秘めている「影」と向きあい、誰かを救うべく行動することが「自己実現」への第一歩のような気がします。

初稿 2020/05/04
校正 2021/05/02
写真 越辺川の菜の花
撮影 2020/04/12(埼玉・坂戸)