Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§23「子供と学校」 河合隼雄, 1977.

2014-01-29 | Book Reviews
 普段、何気なく使う「教育」という言葉の意味を深く考えさせてくれます。

 とかく、教えることが目的になりがちですが、実は育てることが目的であって、教えるということは、育てるために必要な知識や経験を与えるに過ぎないのかもしれません。
 
 つまり、問題の解き方を教えることを目的とすると、その成果はひとつの答えに他ならず、日頃から仕事をする上で求められる問題が何か?と考えることに至らないような気がします。

 ところで、子供がいつもと様子が違ったり、想定外の行動をとったとき、なぜそんなことをするの?と問いただしても、大抵、おそらく本人にも分からない場合があると思います。

 著者は臨床心理学の観点で、不快な記憶や苦痛、刺激を求める欲求から自我を護る機能として、無意識の存在を仮定し、本人にも分からない行動の原因を探り、治療されていたとのことです。子供がいつもと様子が違ったり、想定外の行動をとったとき、実は何らかのメッセージなのかもしれません。

 その「問題を手際よく説明できたら、既にその半分は解決されている」※
(※§13「道は開ける」デール・カーネギー)

 まず、問題を色々な角度で様々な尺度で考えてみること(仮説をたてること)そして、それが手際よく説明できてお互いが納得できるとき(検証すること)

 親は教える立場から育てる立場に変わり、子供は解こうとすることから考えようとする姿勢が芽生えるような気がします。親という漢字の由来が、木の上から立って見るという意味が少しだけ分かりかけてきたような気がします。

初稿 2014/01/29
校正 2021/02/09
写真 木のなかで育まれる子供
撮影 2013/08/05(大阪・堺筋辺り)

∫17「高麗橋」 大阪・東横堀川, 1929.

2014-01-29 | Architecture
 高麗橋は東海道の終着であり、京と大坂を結ぶ大坂街道の起点だそうです。

 西国への街道とも繋がることから江戸幕府は公儀橋として直接管理し、明治政府も西日本の道路の距離計算の起点であることから、五街道の起点である江戸・日本橋と並んで重要な西日本の道路の起点としての歴史的意味を持っていると思います。

 また、その名の由来は諸説あるものの、桃山時代より交易の中心であったことが偲ばれ、かつて江戸・日本橋と同じように、その界隈には、三井両替、呉服屋が軒をつらね、いまもなお旧三井銀行大阪支店(#37参照)が堺筋にたたずむ姿にまみえれば、凝縮された歴史に触れることができるような気がします。

初稿 2014/01/29
校正 2021/02/10
写真 高麗橋, 1929.
撮影 2013/11/24(大阪・東横堀川)

α1「フィレンツェ・ルネサンス 芸術と修復展」 1991.

2014-01-26 | Exhibition Reviews
 遡ること約二十年、大学一年の夏休みに青春18切符で博多から京都へ。教養課程の英語授業で初めて触れたフィレンツェ・ルネサンス。偶然にも時を同じくして開催されていた展覧会。

 ルネサンス芸術は、宗教がもたらす思想の固定化を払拭し、本来は自由であるべき人間の可能性を肯定した活動。いわば、古代ギリシャへの原点回帰。

 芸とは、師匠の指導のもとに習得される専門的な知識と能力に加え、洗練された教養を併せ持ち実践すること。術とは、師匠のもとで習得される技術の体系。

 とはいえ、十三世紀のルネサンス芸術によってもたらされた作品群は、保存状態によっては時を経て劣化が進行し、色褪せを補うために上塗りされることで作品本来の姿が変質していることが問題。

 修復とは、科学的観点に基づき体系化された技術のひとつであり、劣化状況を分析し上塗りされた層を取り除きもとの姿に復元すること。いわば、ルネサンス芸術への原点回帰。

 この展覧会の出展作品は、修復されたものばかりであり、展示のみならず修復技術そのものもテーマのひとつであることを考えると現代においても、ルネサンス芸術が脈々と続いているような気がします。

初稿 2014/01/26
校正 2020/11/28
写真「フィレンツェ・ルネサンス 芸術と修復展」図録
期間 1991/07/16~1991/09/01(京都・国立美術館)

∫16「日本橋」 東京・日本橋川, 1911.

2014-01-11 | Architecture
 古くは五街道の起点であり、いまでもなお日本の道路とアジアンハイウェイの起点である日本橋。

 かつて日本橋川の水運が物流を促し、三越のルーツとなる越後屋などの豪商が軒をつらねていたそうです。

 明治に竣工した橋の柱を飾る麒麟が伝説には無い翼を持つのは、道を通じて平らかな世を拡げることを示唆しているような気がします。

初稿 2014/01/11
校正 2021/02/11
写真「日本橋」 妻木 頼黄, 1911.
撮影 2012/10/15(東京・日本橋川)

§22「君たちはどう生きるか」 吉野源三郎, 1937.

2014-01-04 | Book Reviews
 主人公のコペル君が百貨店の屋上から眺めた街角から、何千何万もの人びとの予測もおぼつかない世界を垣間見たときから物語が始まります。

 見上げた空のもっと上の天体の動きはすべて、運動方程式から予測された因果性に基づいた秩序があるはずなのに、見下ろした街に住む人びとが今、何をしているのか?どこに行こうとしているのか?さえも分からない。

 自らが視点を遠くに置いた時にはじめて社会の仕組みや物事の結び付きや人の繋がりがわかるものなのかもしれません。

 リンゴが木から落ちるときにニュートンが着想した万有引力。それは天体における地球と月も太陽と地球も同じように相互に引き合う力は、リンゴが木から落ちる力と同じ地球もまた質量を持つ物体のひとつに過ぎないという原理。

 天動説とは、地球を中心に太陽や惑星が廻ること。子供じみた自己中心的な考えや行動のたとえであり、主人公のコペル君は、その天動説を覆したひとのたとえかもしれません。

 人と人との関わりや歴史もすべて同じように、ひとりでは成りがたく、絶えず相互に影響を及ぼしていることを知ったときの手紙には、

 「すべての人がお互いによい友達であるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います」

 とても、日中戦争前夜とは思えない、普遍的な作品のひとつだと思います。

初稿 2014/01/04
校正 2021/02/12
撮影 2013/09/28 (東京・西新宿辺り)