普段、何気なく使う「教育」という言葉の意味を深く考えさせてくれます。
とかく、教えることが目的になりがちですが、実は育てることが目的であって、教えるということは、育てるために必要な知識や経験を与えるに過ぎないのかもしれません。
つまり、問題の解き方を教えることを目的とすると、その成果はひとつの答えに他ならず、日頃から仕事をする上で求められる問題が何か?と考えることに至らないような気がします。
ところで、子供がいつもと様子が違ったり、想定外の行動をとったとき、なぜそんなことをするの?と問いただしても、大抵、おそらく本人にも分からない場合があると思います。
著者は臨床心理学の観点で、不快な記憶や苦痛、刺激を求める欲求から自我を護る機能として、無意識の存在を仮定し、本人にも分からない行動の原因を探り、治療されていたとのことです。子供がいつもと様子が違ったり、想定外の行動をとったとき、実は何らかのメッセージなのかもしれません。
その「問題を手際よく説明できたら、既にその半分は解決されている」※
(※§13「道は開ける」デール・カーネギー)
まず、問題を色々な角度で様々な尺度で考えてみること(仮説をたてること)そして、それが手際よく説明できてお互いが納得できるとき(検証すること)
親は教える立場から育てる立場に変わり、子供は解こうとすることから考えようとする姿勢が芽生えるような気がします。親という漢字の由来が、木の上から立って見るという意味が少しだけ分かりかけてきたような気がします。
初稿 2014/01/29
校正 2021/02/09
写真 木のなかで育まれる子供
撮影 2013/08/05(大阪・堺筋辺り)
とかく、教えることが目的になりがちですが、実は育てることが目的であって、教えるということは、育てるために必要な知識や経験を与えるに過ぎないのかもしれません。
つまり、問題の解き方を教えることを目的とすると、その成果はひとつの答えに他ならず、日頃から仕事をする上で求められる問題が何か?と考えることに至らないような気がします。
ところで、子供がいつもと様子が違ったり、想定外の行動をとったとき、なぜそんなことをするの?と問いただしても、大抵、おそらく本人にも分からない場合があると思います。
著者は臨床心理学の観点で、不快な記憶や苦痛、刺激を求める欲求から自我を護る機能として、無意識の存在を仮定し、本人にも分からない行動の原因を探り、治療されていたとのことです。子供がいつもと様子が違ったり、想定外の行動をとったとき、実は何らかのメッセージなのかもしれません。
その「問題を手際よく説明できたら、既にその半分は解決されている」※
(※§13「道は開ける」デール・カーネギー)
まず、問題を色々な角度で様々な尺度で考えてみること(仮説をたてること)そして、それが手際よく説明できてお互いが納得できるとき(検証すること)
親は教える立場から育てる立場に変わり、子供は解こうとすることから考えようとする姿勢が芽生えるような気がします。親という漢字の由来が、木の上から立って見るという意味が少しだけ分かりかけてきたような気がします。
初稿 2014/01/29
校正 2021/02/09
写真 木のなかで育まれる子供
撮影 2013/08/05(大阪・堺筋辺り)