透き通る静寂に映える緑が雷の如く。
雷は"いかづち"とも称し、自らに降りかかる抗えない厄の喩え。
ひょっとしたら、厄とは自らが持つ先入観や劣等感、恐怖感に起因するのかもしれません。
雷除けで名高い岩間寺の縁起に拠れば、雷の思いを聴き容れることこそが、雷を鎮めることに他ならず、祈りは自らの願いを叶える為のものではなく、祈りを捧げる自らに向き合うことのような気がします。
初稿 2017/07/29
校正 2020/11/11
写真 岩間山 正法寺(真言宗 醍醐派)
撮影 2017/07/26(滋賀・大津)
雷は"いかづち"とも称し、自らに降りかかる抗えない厄の喩え。
ひょっとしたら、厄とは自らが持つ先入観や劣等感、恐怖感に起因するのかもしれません。
雷除けで名高い岩間寺の縁起に拠れば、雷の思いを聴き容れることこそが、雷を鎮めることに他ならず、祈りは自らの願いを叶える為のものではなく、祈りを捧げる自らに向き合うことのような気がします。
初稿 2017/07/29
校正 2020/11/11
写真 岩間山 正法寺(真言宗 醍醐派)
撮影 2017/07/26(滋賀・大津)