横浜・本牧に在る八聖殿には、「八聖」と呼ばれる像が鎮座しています※。それらの像のひとつが朝倉文夫作「聖徳太子」です。
学生当時はあたりまえにその名で呼んでいましたが、現在では「厩戸皇子(うまやどのみこ)」と呼ばれているものの、いづれの名もまた本名ではないとの説があるそうです。
ひょっとしたら、何処ぞの何某であるという名よりも、何かを成すためにどのような役割と責任を担ったのかということの方が大切なのかもしれません。
約千四百年前に存在したとされるその人を誰しもが出会ったことはないにせよ、眼前のその姿は、史実に即した役割と責任を担うに相応しい姿をそこに存在させているような気がします。
初稿 2024/04/28
写真「聖徳太子」 朝倉文夫, 1933.
撮影 2022/03/27(横浜市八聖殿郷土資料館)
※)
§144「ソクラテスの弁明」プラトン, 納富信留 訳, 2012.
学生当時はあたりまえにその名で呼んでいましたが、現在では「厩戸皇子(うまやどのみこ)」と呼ばれているものの、いづれの名もまた本名ではないとの説があるそうです。
ひょっとしたら、何処ぞの何某であるという名よりも、何かを成すためにどのような役割と責任を担ったのかということの方が大切なのかもしれません。
約千四百年前に存在したとされるその人を誰しもが出会ったことはないにせよ、眼前のその姿は、史実に即した役割と責任を担うに相応しい姿をそこに存在させているような気がします。
初稿 2024/04/28
写真「聖徳太子」 朝倉文夫, 1933.
撮影 2022/03/27(横浜市八聖殿郷土資料館)
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§144「ソクラテスの弁明」プラトン, 納富信留 訳, 2012.
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