Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§121「母なるもの」 遠藤周作, 1969.

2021-06-27 | Book Reviews
 遠藤周作の自伝的な色合いが濃い短編小説だと思います。「母なるもの」へ寄り添いたいという想いが、在るがままの自分に他ならかったと意識しつつも、そこには近寄りがたい何かが秘められていたのかもしれません。

「母は、むかしたった一つの音をさがしてヴァイオリンを引き続けたように、その頃、たった一つの信仰を求めて、きびしい、孤独な生活を追い求めていた」(p.16)

 離婚した母に連れられ満州から西宮へ移り住んだ当時、父が不在だった日々の追憶を重ねる作家が取材を通じて「かくれキリシタン」に深い関心を抱きます。

 徳川幕府の禁教令によって宣教師が不在の約二百年にわたり、カトリック信仰を仏教や神道に帰依しているかのように変容させながら受け継いできた「潜伏キリシタン」の人々。

 一方、明治政府の開国によって宣教師との接触を通じて、カトリックに復帰する人々と袂を分かち、父や母から受け継いできたその信仰を頑なに変えない「かくれキリシタン」の人々。

 カトリックの正当な教理を説く宣教師が長きにわたり不在であったにせよ、踏み絵を前にした彼等は「生涯、自分のまやかしの生き方に、後悔と暗い後目痛さと屈辱とを感じつづけながら生きてきた(p.35)」のではないかと感じたような気がします。

 ひょっとしたら、父なる厳格な教えを守ることがかなわない「自分たちの弱さが、聖母のとりなしで許されることだけを祈った」(p.40)

そう感じた彼等の姿に、彼は在るがままの自分の姿を投影したのかもしれません。

初稿 2021/06/27
校正 2022/02/27
写真 聖母子像(ピエタ※)
撮影 2018/11/17(東京・聖マリア大聖堂)
※息子を哀しみ抱く母(サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロ作の原寸大のレプリカ)

§120「影法師」 遠藤周作, 1968.

2021-06-19 | Book Reviews
 「永遠の随伴者」は遠藤周作が追求したテーマのひとつ。それを紐解く糸口とも呼べる自伝的な短編小説が「影法師」だと思います。

 「母なるもの」へ寄り添いたいという想いは、無意識に潜む元型のひとつが心に働きかけるからかもしれません。

「そんなことで、神父さまになれると思うの」(p.19)

 でも、息子の在るべき姿を夢見た母の言葉は、彼にとって「母なるもの」への畏怖と理想像としての神父にさえも反感を抱いてしまいます。

 本来ならば、成長する過程を通して無意識に潜む幾多の元型に囚われることなく向き合うことによって、自らの在るべき姿としての自我が芽生えるのかもしれません。

 ひょっとしたら、「母なるもの」からの期待を課せられた自分、そして母の期待を裏切り教会を追われた神父もまた、自らが投影していた自我という「影法師」に過ぎなかったのかもしれません。

 人生において自我の喪失と再生を繰り返すなかで、ただ「母なるもの」へ寄り添いたいという想いだけが残り、それが在るがままの自分に他ならかったような気がします。

初稿 2021/06/19
校正 2022/02/25
写真 毘沙門天とその影法師
撮影 2020/01/19(東京・国立博物館)
注釈 救いの手を差し伸べる千手観音も永遠に寄り添う影法師なのかもしれません。

§119「ユリアとよぶ女」 遠藤周作, 1968.

2021-06-11 | Book Reviews
 約四世紀前、豊臣秀吉が朝鮮半島へ侵攻した文禄の役で身寄りを亡くした少女が切支丹として日本で歩んだ人生を描く物語。

 文禄の役に従軍した下級武士 与左衛門は彼女を哀れみ、自らの心境を被らせて、

「自分もこの国やこの小娘と同じようなもの。自分も関白殿の人形に過ぎぬ」(p.229)

とつぶやき、拾った木ぎれを削ってこしらえた人形を彼女に渡しました。

 その後、日本に渡り洗礼を受けた彼女はユリアと呼ばれ、駿府城の大奥で侍女として働くかたわら、徳川家康の側室に幾度も召しかかえられようとしたものの、拒み続けるたび毎に遠島へ流されました。

 偶然にも、遠島に流す役目を引き受けた与左衛門は、彼女が握りしめていた掌に自らが渡した人形が在るのを驚くとともに、彼女もまた泪の粒が溢れました。

「朝鮮の陶器のように言い知れぬ哀しみの翳があるのに、白いその顔には自分の感情や意志があらわれたことはなかった」(p.239)

彼女の人生に触れた人々は、その哀しみの翳に宿る光を感じたのかもしれません。

初稿 2021/06/11
校正 2022/02/24
写真 哀しみの翳に宿る光
撮影 2017/01/03(神戸・北野異人館街)

#65「進 路 選 択」

2021-06-05 | Liner Notes
 「Fラン大学って、どうなんかな。。。」

インターハイ予選を勝ち進むレギュラーチームの躍進の陰に、進路選択に悩む高校三年生の長男がつぶやく言葉。

 志望校を偏差値や知名度で選ぶのも価値観の一つですが、自らの学力以上の大学へ合格できそうもないと嘆くよりは、自らの学力にみあった大学で様々な出会いや経験を通じて自らのあるべき姿を追求することも価値観の一つだと思います。

 Webによるオープンキャンパスを家族一緒に体験してみて、何に成りたいかは決められない今だからこそ職業選択の軌道修正はあたりまえと考えて、少しでも関心があることを学べる大学を選択することが大切なような気がします。

 在宅勤務で使う長男の部屋に目につくように貼られていた、いわゆる難関校合格のスローガン。それが目につかなくなったのは親の気持ちが少しだけ伝わったからなのかもしれません。

初稿 2021/06/05
校正 2022/02/23
写真 進路選択する転車台と扇形庫
撮影 2017/03/20(京都・旧梅小路蒸気機関車館)