遠藤周作の自伝的な色合いが濃い短編小説だと思います。「母なるもの」へ寄り添いたいという想いが、在るがままの自分に他ならかったと意識しつつも、そこには近寄りがたい何かが秘められていたのかもしれません。
「母は、むかしたった一つの音をさがしてヴァイオリンを引き続けたように、その頃、たった一つの信仰を求めて、きびしい、孤独な生活を追い求めていた」(p.16)
離婚した母に連れられ満州から西宮へ移り住んだ当時、父が不在だった日々の追憶を重ねる作家が取材を通じて「かくれキリシタン」に深い関心を抱きます。
徳川幕府の禁教令によって宣教師が不在の約二百年にわたり、カトリック信仰を仏教や神道に帰依しているかのように変容させながら受け継いできた「潜伏キリシタン」の人々。
一方、明治政府の開国によって宣教師との接触を通じて、カトリックに復帰する人々と袂を分かち、父や母から受け継いできたその信仰を頑なに変えない「かくれキリシタン」の人々。
カトリックの正当な教理を説く宣教師が長きにわたり不在であったにせよ、踏み絵を前にした彼等は「生涯、自分のまやかしの生き方に、後悔と暗い後目痛さと屈辱とを感じつづけながら生きてきた(p.35)」のではないかと感じたような気がします。
ひょっとしたら、父なる厳格な教えを守ることがかなわない「自分たちの弱さが、聖母のとりなしで許されることだけを祈った」(p.40)
そう感じた彼等の姿に、彼は在るがままの自分の姿を投影したのかもしれません。
初稿 2021/06/27
校正 2022/02/27
写真 聖母子像(ピエタ※)
撮影 2018/11/17(東京・聖マリア大聖堂)
※息子を哀しみ抱く母(サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロ作の原寸大のレプリカ)
「母は、むかしたった一つの音をさがしてヴァイオリンを引き続けたように、その頃、たった一つの信仰を求めて、きびしい、孤独な生活を追い求めていた」(p.16)
離婚した母に連れられ満州から西宮へ移り住んだ当時、父が不在だった日々の追憶を重ねる作家が取材を通じて「かくれキリシタン」に深い関心を抱きます。
徳川幕府の禁教令によって宣教師が不在の約二百年にわたり、カトリック信仰を仏教や神道に帰依しているかのように変容させながら受け継いできた「潜伏キリシタン」の人々。
一方、明治政府の開国によって宣教師との接触を通じて、カトリックに復帰する人々と袂を分かち、父や母から受け継いできたその信仰を頑なに変えない「かくれキリシタン」の人々。
カトリックの正当な教理を説く宣教師が長きにわたり不在であったにせよ、踏み絵を前にした彼等は「生涯、自分のまやかしの生き方に、後悔と暗い後目痛さと屈辱とを感じつづけながら生きてきた(p.35)」のではないかと感じたような気がします。
ひょっとしたら、父なる厳格な教えを守ることがかなわない「自分たちの弱さが、聖母のとりなしで許されることだけを祈った」(p.40)
そう感じた彼等の姿に、彼は在るがままの自分の姿を投影したのかもしれません。
初稿 2021/06/27
校正 2022/02/27
写真 聖母子像(ピエタ※)
撮影 2018/11/17(東京・聖マリア大聖堂)
※息子を哀しみ抱く母(サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロ作の原寸大のレプリカ)