人はある出来事や物事のかたちやありようについて、自らがそれらをどう捉えどういう意味を与えるかは言葉を通じて認識しているような気がします。
とはいえ、言葉は私とあなたとそれ以外の不特定多数の人々となんらかの事実や情報という価値を交換する方に目を奪われがちですが、ひょっとしたら言葉そのものが価値なのかもしれません。
「人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有することは出来ない」(p.79)
本来、「手紙」は私からあなたへ(ある特定の誰かへ)言葉を伝える手段の一つであるものをあえて、私とあなたとそれ以外の人々(不特定多数の「X」)に向けて綴った意図は、言葉それ自体が価値であることを伝えようとしたのかもしれません。
「俺が生きる為に必要なものはもう俺自身ではない、欲しいものはただ俺が俺自身を見失わない様に俺に話しかけてくれる人間と、俺の為に多少は聞いてくれる人間だ」(p.79)
初稿 2022/06/26
出典 小林秀雄, 1962.『Xへの手紙・私小説論』
新潮文庫, pp.57-83.
写真 招鶴洞
撮影 2022/06/15(神奈川・鎌倉文学館)
余話 小林秀雄の直筆原稿も展示されています
とはいえ、言葉は私とあなたとそれ以外の不特定多数の人々となんらかの事実や情報という価値を交換する方に目を奪われがちですが、ひょっとしたら言葉そのものが価値なのかもしれません。
「人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有することは出来ない」(p.79)
本来、「手紙」は私からあなたへ(ある特定の誰かへ)言葉を伝える手段の一つであるものをあえて、私とあなたとそれ以外の人々(不特定多数の「X」)に向けて綴った意図は、言葉それ自体が価値であることを伝えようとしたのかもしれません。
「俺が生きる為に必要なものはもう俺自身ではない、欲しいものはただ俺が俺自身を見失わない様に俺に話しかけてくれる人間と、俺の為に多少は聞いてくれる人間だ」(p.79)
初稿 2022/06/26
出典 小林秀雄, 1962.『Xへの手紙・私小説論』
新潮文庫, pp.57-83.
写真 招鶴洞
撮影 2022/06/15(神奈川・鎌倉文学館)
余話 小林秀雄の直筆原稿も展示されています