邦訳の題名からは、なんらかを患っているような〈誰か〉への偏見や差別を含む印象を受けますが、読むにつれてそれがそうではないのではという印象に変わっていきました。
「自分が白痴だと言われていることを、私はちゃんと承知しているのですから、まさかそんな白痴はいないでしょうよ」(上巻p.138)
分かりあえない、もしくは分かりあおうとしない〈誰か〉を、もはや〈わたし〉が分かりあおうとする必要はないような気がします。
ところで、なぜそれがそうなのか?という問いそのものが成り立たないとき、眼前の世界は同じように観えてはいても、それぞれが観ている〈世界〉は異なっていて、それぞれの価値観や正しさとかも相容れないのかもしれません。
「その理由はただそうしたいからなので、そうしたいことは、つまり、そうしなければならぬことだからだ」(上巻 p.75)
ひょっとしたら、〈誰か〉にそんな矢を射ようとするとき、実は〈誰か〉からその矢を射られようとしているのかもしれないことを、この小説は示唆しているのかもしれません。
初稿 2024/06/16
写真「弓を引くヘラクレス」1909.
撮影 2024/05/18(東京・国立西洋美術館)
「自分が白痴だと言われていることを、私はちゃんと承知しているのですから、まさかそんな白痴はいないでしょうよ」(上巻p.138)
分かりあえない、もしくは分かりあおうとしない〈誰か〉を、もはや〈わたし〉が分かりあおうとする必要はないような気がします。
ところで、なぜそれがそうなのか?という問いそのものが成り立たないとき、眼前の世界は同じように観えてはいても、それぞれが観ている〈世界〉は異なっていて、それぞれの価値観や正しさとかも相容れないのかもしれません。
「その理由はただそうしたいからなので、そうしたいことは、つまり、そうしなければならぬことだからだ」(上巻 p.75)
ひょっとしたら、〈誰か〉にそんな矢を射ようとするとき、実は〈誰か〉からその矢を射られようとしているのかもしれないことを、この小説は示唆しているのかもしれません。
初稿 2024/06/16
写真「弓を引くヘラクレス」1909.
撮影 2024/05/18(東京・国立西洋美術館)