猫であって、猫にあらず。身近で愛くるしい親近感を持ちながらも、思った通りにならない存在を示唆しているような気がします。
TV版『ドラえもん』は、のび太の願いを叶えてくれるはずの未来の道具が、いつも思いもよらない展開で、のび太の願いは裏切られてしまいます。言わば、自らの無意識に潜む「コンプレックス」が、自らのまわりに対する自らの劣等感として作用する「おはなし」のような気がします。
一方で、映画版『ドラえもん』は、みんなの願いを叶えるために自らが勇気をもって挑み、思いもよらない助けによってみんなの願いを叶えてくれます。言わば、自らの無意識に潜む「コンプレックス」が、自らの理想像に対する自らの劣等感を克服するように作用する「おはなし」のような気がします。
いづれにしても、猫は自らの「コンプレックス」をよい方向にも、そうでない方向にも起動させてしまう「トリックスター」のひとつのような気がします。
初稿 2017/02/19
校正 2020/11/23
写真 通勤路にて見かける猫
撮影 2017/02/18(滋賀・大津)
TV版『ドラえもん』は、のび太の願いを叶えてくれるはずの未来の道具が、いつも思いもよらない展開で、のび太の願いは裏切られてしまいます。言わば、自らの無意識に潜む「コンプレックス」が、自らのまわりに対する自らの劣等感として作用する「おはなし」のような気がします。
一方で、映画版『ドラえもん』は、みんなの願いを叶えるために自らが勇気をもって挑み、思いもよらない助けによってみんなの願いを叶えてくれます。言わば、自らの無意識に潜む「コンプレックス」が、自らの理想像に対する自らの劣等感を克服するように作用する「おはなし」のような気がします。
いづれにしても、猫は自らの「コンプレックス」をよい方向にも、そうでない方向にも起動させてしまう「トリックスター」のひとつのような気がします。
初稿 2017/02/19
校正 2020/11/23
写真 通勤路にて見かける猫
撮影 2017/02/18(滋賀・大津)