Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§63「働きざかりの心理学」 河合隼雄, 1981.

2017-01-28 | Book Reviews
 自らが考えて判断した結果はいづれにせよ「0:1」ですが、自らが考えて判断するプロセスは「51:49」なのかもしれません。

 とかく結果にのみ着目すると、「上手くいったか?」、「上手くいかなかったか?」の二択に他ならず、いわば方程式における解を暗記するように、考えることを忘れてしまいがち。

 一方で、「どうするのか?」というプロセスに着目すると、選択肢そのものを自らが自由に設定せざるを得ず、いわば多様な条件と関係性を踏まえた最適解を導き出す方程式そのものをつくることのような気がします。

 自由な発想とは、たんなる思いつきやひらめきというよりは、自らの知識や経験といったある種の条件に基づいて、人や物の関係性を連想することなのかもしれません。

 砂場で楽しそうに遊ぶ子供の眼には、現実以上のリアルな都市建設の設計図だったり、現実以上のリアルなケーキのレシピだったり、大人が忘れかけていた自由な発想そのものがその瞳に映っているのかもしれません。

初稿 2017/01/28
校正 2020/11/25
写真 自由な発想の源泉とは
「休息する女流彫刻家」
 アントワーヌ・ブールデル 作
撮影 2016/05/23(大阪・御堂筋彫刻ストリート)

§62「こころの処方箋」 河合隼雄, 1992.

2017-01-17 | Book Reviews
「ものごとは努力によって解決しない」

「自立は依存によって裏付けれている」

「灯を消す方がよく見えるときがある」

 迷いや悩みから免れようとする人にとっては、相反するように聞こえてしまいそうな言葉の数々。迷いや悩みは自らが自信をもって判断できないが故に生じればこそ、判断するための材料や情報は偏ることなく集めるべきなのかもしれません。

 とかく、人は窮地に立たされたときには、闇雲に解決しようと努力するが故に、その努力は必ず報われるはずと思いがち。そんな時、ちょっとだけ視点を変えれば、努力は必ず裏切らないものと捉えれば、自らの自信と誇りに繋がることを示唆してくれます。

 一方で、自らの自信と誇りは、自立を促すように思えるものの、あえて依存を排除すれば孤立を招かざるをえないもの。人は依存して生きていることを認識することこそが第一歩。感謝や共感をもってして様々な意見や観点を鑑みればこそ、物事の本質に迫ることができるのであって、その時にこそその努力は課題を的確に捉えるものだと思います。

 暗闇の海原で難破した舟がいくら手元を灯しても行方はいざ知らず、あえて手元の灯を消す勇気さえあれば、自らの行方を知らせる灯台が見えるのかもしれません。

初稿 2017/01/17
校正 2020/11/27
写真 自らに向き合う自分自身
  「みちのく」高村光太郎 作
撮影 2016/05/23(大阪・御堂筋彫刻ストリート)

§61「置かれた場所で咲きなさい」 渡辺和子, 2012.

2017-01-12 | Book Reviews
 "Bloom where God has planted you."

 置かれたところが自らの居場所、咲くとは人の幸せのために生きること。さすれば必ずあなたを見守ってくれる人が現れるはず。

 とはいえ、咲けない日もあるでしょうから、そのときは根を下へ下へと降ろしましょう。希望は叶わないものもあるけど、大切なのは希望を持ち続けること。そして、一生の終わりに残るものは我々が集めたものでなく、我々が与えたものに他なりません。

 読むひとの心に和らぎをもたらす文章の数々を紡ぐ著者は、ニニ六事件で非業の死を遂げた陸軍教育総監 渡辺錠太郎の次女として育ち、後年はノートルダム清心学園理事長を務めた彼女が、父を撃った相手に自らが関わろうとした信念は、

「信頼は98%、残りの2%は相手が間違った時の許しの為にとっておくこと」

 ボジョレーの娘が摘んだ葡萄は自らの為ではなく誰かの為なのかもしれません。

「あなたが大切だと誰かに言ってもらえるだけで、生きてゆける」

と囁いているような気がします。

初稿 2017/01/12
校正 2020/11/28
写真 ボジョレーの娘
撮影 2016/05/23(大阪・御堂筋彫刻ストリート)

§60「播磨灘物語」(黒田如水) 司馬遼太郎, 1975.

2017-01-06 | Book Reviews
 キリスト教における原罪とは、主の教えや掟に背いたアダムとイブが禁断の果実を食べたことなのか?それとも、アダムがイブの薦めでそれを食べたと言い逃れしたことなのか?

 ひょっとしたら、罪とは自らが選択した結果を自らが悔い改めることなく、責任転嫁することなのかもしれません。例えば、相手に期待をかけて裏切られたとき、その相手を責めることも原罪のひとつのような気もします。

 時は石山本願寺との戦の折り、織田信長に反旗を翻した荒木村重に翻意を促すため派遣された官兵衛が、派遣した旧主に裏切られ地下牢獄に幽閉された一年間。決して復讐するのではなく、悔い改めるべきは相手に期待する自らそのものだったことを悟ったのかもしれません。

「おもひをく 言の葉なくて つゐに行く 道はまよはじ なるにまかせて」(隠居後に「如水」と称した辞世の句)

 人に媚びず富貴を望まざれば迷うこともあろうはずもなく、人生の終焉を迎えた今だからこそ未練もあろうはずもない。その境地に至りし心境やその生きざまの潔さは、キリスト教の洗礼をうけて「シメオン」と称したことと全く関係がないとは言い切れないような気がします。

初稿 2017/01/05
校正 2020/11/29
写真 一過性の波を全て受け容れる潔き海
撮影 2014/05/31

§59「巧名が辻」(山内一豊) 司馬遼太郎, 1965.

2017-01-03 | Book Reviews
 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武将 山内一豊は妻 千代の内助の功が引き立てられがちですが、彼の功名の所以は槍先の誉れだけではなかったと思います。

 随所に主となれば立つところ皆、真なりに他ならず、自らの資質や能力を信じること、自らの将来に期待を賭けること、自らは振向かず駆け抜けることを徹底したことに尽きるような気がします。

 とはいえ、土佐二十四万石は自らの力のみで得ていない以上、随所に主とはなりがたく、もはや徳川家には従わざるを得なかったと思います。

 自らは期待された資質や能力を発揮すること、自らの将来は期待された資質や能力を継承すること、自らが立ち止まり期待に応えたかどうか振り返ることを徹底せざるを得なくなった時こそが、功名の別れ道なのかもしれません。

初稿 2017/01/03
校正 2020/11/30
写真 追手門から望む天守
撮影 2011/05/17(高知・高知城)