幕末の動乱期、大藩とはいえない越後長岡藩が最新鋭のガトリング砲を中心とした軍事力を備えたのは、長岡藩七万石の自主独立を確保するため。
時局を憂い、時勢を鑑み、すべては自主独立の為にのみ、すべからくあらゆる可能性を洗いだし、判断していく姿はまさに、高杉晋作を彷彿させるほど。
事を成そうとする志ある者は、倒壊寸前の廃屋の瓦が崩れるのを待つようにではなく、磨ききった玉を渾身の力を込めて砕き散るのみ。もはや結果を憂うことなく、その評価は後世に託するのみ。それこそが、「寧ろ玉となりて砕くるとも、瓦となりて全かるなかれ」という吉田松陰の思想のひとつ。
外様と譜代の立場の違いこそあれ、幾千里も離れた長州と越後にあって、同じような思いに駆られ、行動していく様は、約二六〇年の長きに亘り醸造された武士としての思想的美意識の結実といえるべきものなのかもしれません。
一方で、継之助に語らしめる、「人はその長ずるところをもって解釈すれば必ず事を誤るもの」とは、その思想的美意識を極めることによっては、途方もない犠牲を強いることへの戒めのような気がします。
まさに、「峠」というタイトルは、時局や時勢の変曲点を示唆し、その後の時局や時勢を見据え、リーダが何を重きにおき、何を勝ち取り、何を捨て、何を守るべきか?そういう心構えを問うているのかもしれません。
初稿 2016/01/12
校正 2020/12/24
時局を憂い、時勢を鑑み、すべては自主独立の為にのみ、すべからくあらゆる可能性を洗いだし、判断していく姿はまさに、高杉晋作を彷彿させるほど。
事を成そうとする志ある者は、倒壊寸前の廃屋の瓦が崩れるのを待つようにではなく、磨ききった玉を渾身の力を込めて砕き散るのみ。もはや結果を憂うことなく、その評価は後世に託するのみ。それこそが、「寧ろ玉となりて砕くるとも、瓦となりて全かるなかれ」という吉田松陰の思想のひとつ。
外様と譜代の立場の違いこそあれ、幾千里も離れた長州と越後にあって、同じような思いに駆られ、行動していく様は、約二六〇年の長きに亘り醸造された武士としての思想的美意識の結実といえるべきものなのかもしれません。
一方で、継之助に語らしめる、「人はその長ずるところをもって解釈すれば必ず事を誤るもの」とは、その思想的美意識を極めることによっては、途方もない犠牲を強いることへの戒めのような気がします。
まさに、「峠」というタイトルは、時局や時勢の変曲点を示唆し、その後の時局や時勢を見据え、リーダが何を重きにおき、何を勝ち取り、何を捨て、何を守るべきか?そういう心構えを問うているのかもしれません。
初稿 2016/01/12
校正 2020/12/24