Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

#29「折りけむ枝のふしごとに移ろいゆく季節 」

2013-01-30 | Liner Notes
 女郎花(をみなえし)は秋の七草のひとつ、花言葉は「はかなく堪え忍ぶ」の意。

「女郎花 折りけむ枝の ふしごとに 過ぎにし君を 思ひいでやせし」(枇杷左大臣・藤原仲平)

 その枝の節々を見るに、しかるべきひとを想い、慕う心が募ってはしまいかと謳えばその返し、

「をみなへし 折りも折らずも いにしへを さらにかくべき ものならなくに」(伊勢, 後撰和歌集 三五〇)

 しかるべきとは「ふさわしい」との意であり、かくべきとは「こうなって欲しい」との意。

 忘れえぬ追憶があったとしても、なつかしむことなく、そして振り返ることもなく、とはいえ、流れさるものでなく、積み重ねられれば、前に先にきっと、生きることができるのですと綴っているような気がします。

初稿 2013/01/30
校正 2021/03/30
写真 はかなく堪え忍ぶ花
撮影 2010/03/10(広島・宮島)

#28「もみぢ葉に色みえわかずちる紅葉」

2013-01-26 | Liner Notes
 秋の紅葉が此の木、彼の木、此の葉、彼の葉とそれぞれがそれぞれに、いかに色づきはじめたとしても、むせび泣く涙が色づいた紅葉とその色を別ちがたく、おぼろげに映していたのかもしれません。

 「もみぢ葉に 色みえわかずちるものは もの思ふ秋の涙なりけり」(伊勢, 伊勢集)

初校 2013/01/26
校正 2021/04/01
写真 北摂の紅葉
撮影 2007/11/25(大阪・箕面)

#27「浅しや深し水面に映る秋の訪れ」

2013-01-25 | Liner Notes
 三十六歌仙のひとり、伊勢が賀茂詣の折に吟じた歌のひとつ。

「そらめをぞ 君はみたらし 川の水 あさしやふかし それは我かは」(伊勢, 拾遺和歌集 五三四)

 お見間違えではないでしょうか。もし、私が伊勢であるのならば、たやすく人目に触れたりなどしません。御手洗川の水は浅いのか深いかは存じませんが、あなたの見たとおっしゃるのは本当に私でしょうか。

 水面に映る光景が逆さまであろうとも、もはやそこには、あなたがのぞむ私はいないとの意やもしれません。

初稿 2013/01/25
校正 2021/04/02
写真 北摂の水辺にて
撮影 2007/11/25(大阪・箕面)

#26「風の音に秋に秋添う銀杏樹」

2013-01-24 | Liner Notes
 神宮外苑の銀杏並木は、青山通から聖徳記念絵画館へ向かう道沿いにかけて、背丈の高い樹から順に低い樹が配置されているそうです。

 あたかも、絵画館がはるかかなたにあるかのようにあやつる遠近感のような気がします。

 さりとても、人の想いは操りがたく、吐露するすべのひとつとして和歌が語り継がれているのかもしれません。

 「世の中は いさともいさや 風のおとは 秋に秋そふ心地こそすれ」(伊勢, 後撰和歌集 一二九三)

初稿 2013/01/24
校正 2021/04/03
写真 聖徳記念絵画館へ向かう銀杏並木
撮影 2011/12/11(東京・神宮外苑)

#25「錦おりける紅葉と枯山水」

2013-01-19 | Liner Notes
 水を感じさせるために水を抜き、敷き詰めた白砂に帚目をつけて石とともに現れる枯山水。

 確認したわけではありませんが、十五個の石はどこから眺めても必ず一個は他の石に隠れて見えないそうです。

 古来より十五は満月の十五夜の意味から「完全さ」を表し、十五に一つ足りない十四は「不完全さ」を表すのかもしれません。

 その不完全さは、人の営みや交わりが決して完全には成就しないことをも示唆する一方で、成長しうる余地や期待をも示唆しているような気がします。

「人すまず 荒れたる宿を 来て見れば 今ぞ木の葉は 錦おりける」(枇杷左大臣)

返し

「涙さへ 時雨にそひて ふるさとは 紅葉の色も こさまさりけり」(伊勢, 後撰和歌集 四五九)(#24)

初稿 2013/01/19
校正 2021/04/04
写真 龍安寺 石庭, 1450.
撮影 2007/12/02(京都・北山)