Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

§36「人間について」 ボーヴォワール, 1944.

2015-03-21 | Book Reviews
 物と自らの存在を対立したものとして捉えるのではなく、物と自らの関わりかたや自らと人との関わりかたを通じて、人が生きることとは如何なることかを問うているのかもしれません。

 自らが生きていくためには、寒さをしのぐ為の衣を纏い、雨露をしのぐ為の住まいを構え、力を蓄える為には喉を潤し食する他はなし。つまり、自らが生きるためには、何らかの物を、何かしら使わざるをえない。そこに所有する概念が生まれ、自らの物という認知にいたるもの。その認知の仕方は人それぞれであるからこそ、自らが自由であるということは、他の人も自由である以上、その巡り合いや関わり方も偶然なのかもしれません。

 木に登ろうとする子どもを、ひろいあげて木の枝にあがらせてしまうとき。ひょっとして、子どもが望んでいたのは、木の枝の上にいることだけでなく、自らで登ることを望んでいたのかもしれません。

 逆に、木に昇る気がない子どもを、ひろいあげて木の枝にあがらせてしまうとき、選ぶ、選ばざるに関わりなく、木の枝から臨む光景を見てしまいます。たとえ、相手の為によかれと思ってとった行為は、必ずしも、相手が望んでいたとは限らないはずなので、まずは、相手が何を目的としているのかを知ることでも、相手が何も目的を持っていないことももはや、それも自由であることなのかもしれません。

初稿 2015/03/21
校正 2020/01/04
写真 「大空に」桑原巨守, 1996.
撮影 2015/03/21(大阪・御堂筋彫刻ストリート)

§35「嘔吐」 サルトル, 1938.

2015-03-12 | Book Reviews
 「物」とはあらかじめ目的をもった存在であり、「物」は果たすべき役割や原因と結果が決められている以上、「物」を創りだす存在がいるはず。つまり「物」の存在理由は必然性に他ならない。

 一方で、「人」とは生まれながらにして目的をもって生まれることはなく、「人」は自らで生きる目的を設けて果たすべき役割と結果を追い求めるもの。つまり、「人」を創りだす存在は、その「人」自らに他ならず。つまり「人」の存在理由は偶然性に他ならない。

 ひょっとしたら、何にも支配されず、偶然に存在しているからこそ自由であると考えるのかもしれません。とはいえ、「人」は自由であるがゆえに、生きる目的を自己責任で選択する他なく、その選択した結果に対する不安や怖れが自らをも蝕むものかもしれません。

 水面に投じられた小石が引き起こす波紋から木に蔓延る根に至るまで、すべての存在は必然に他ならず。一方で、偶然に訪れる吐き気という身体的な症状は自らの存在そのものをも偶然に存在しているだけではないかということを敢えて、主人公の日記という形を通じて綴ることは実存主義の在り方を実験的に解き明かそうとしているのかもしれません。

初稿 2015/03/11
校正 2020/01/15
写真 木に蔓延る根に至るまで
撮影 2014/02/02(奈良・唐招提寺)