出逢った人々の悲しみに寄り添うことしかできなかったイエスという名の男を見捨てた人々がなぜ、彼を救世主・キリストとして信仰するに至ったかを描く物語。
異民族に国土を蹂躙されながら、苦難に耐え続けてきたユダヤの人々は、神に選ばれし民である我々は神との契約を護ることで、神は必ず救世主を遣わすはずという揺るぎなき期待を、確固たる信念として受け継いできたのかもしれません。
しかしながら、救世主・キリストとして目されたイエスという名の男が、ゴルゴダの丘で不合理な死を遂げた時、なぜ神は奇跡を起こすこともなく沈黙し、彼を救わなかったのか?そして彼の死がもたらす意味はなにか?
その2つの問いは、彼を見捨てた人々の後悔や罪悪感から生まれたのかもしれません。そして、決して解くことが出来ない命題を自らに課し、自らの心の奥深くに秘めている「影」と向きあうことによって、自らを救う「自己」が生まれるような気がします。
初稿 2020/03/29
校正 2021/12/28
異民族に国土を蹂躙されながら、苦難に耐え続けてきたユダヤの人々は、神に選ばれし民である我々は神との契約を護ることで、神は必ず救世主を遣わすはずという揺るぎなき期待を、確固たる信念として受け継いできたのかもしれません。
しかしながら、救世主・キリストとして目されたイエスという名の男が、ゴルゴダの丘で不合理な死を遂げた時、なぜ神は奇跡を起こすこともなく沈黙し、彼を救わなかったのか?そして彼の死がもたらす意味はなにか?
その2つの問いは、彼を見捨てた人々の後悔や罪悪感から生まれたのかもしれません。そして、決して解くことが出来ない命題を自らに課し、自らの心の奥深くに秘めている「影」と向きあうことによって、自らを救う「自己」が生まれるような気がします。
初稿 2020/03/29
校正 2021/12/28