晩年の1989~91年にかけて、文藝春秋やオール讀物に連載された短編小説集。
「それぞれん夢賭けて、そん夢が破れたのが無鹿」(p.44)
「無鹿」は豊後のキリシタン大名・大友宗麟が自らの王国建設を夢見て、ラテン語の音楽(musica)にちなんで名付けたと云われる宮崎県北部の地名であり、その約300年後に薩摩の西郷隆盛が西南戦争で軍を解いた地。
続く「取材日記」、「あの世」、「御飯を食べる会」という短編小説を通して、異なる時代に生きた人々や同じ時代を生きる人々の体験に思いを馳せることで、「合理主義というそれ自体だけでは正しいが、全体のなかの一部分に過ぎない考え方に捉えられて、次なる世界が送ってくれるサインを見落としてしまっている」(p.93)ことを示唆しています。
一人一人の体験は当事者である本人にしか意識できないものですが、自らが意識的にその体験を再構築しようとするとき、その一人一人の無意識の領域に蓄積された記憶を無意識に読み込んでいるのかもしれません。
その行為が共感や尊重といった感情を生み出したとき、ひょっとしたら自らの心のなかで永遠の随伴者と出逢えるような気がします。
初稿 2021/5/30
写真 日の出づる方に向かふ国
撮影 1998/08/13(宮崎・日向灘)
「それぞれん夢賭けて、そん夢が破れたのが無鹿」(p.44)
「無鹿」は豊後のキリシタン大名・大友宗麟が自らの王国建設を夢見て、ラテン語の音楽(musica)にちなんで名付けたと云われる宮崎県北部の地名であり、その約300年後に薩摩の西郷隆盛が西南戦争で軍を解いた地。
続く「取材日記」、「あの世」、「御飯を食べる会」という短編小説を通して、異なる時代に生きた人々や同じ時代を生きる人々の体験に思いを馳せることで、「合理主義というそれ自体だけでは正しいが、全体のなかの一部分に過ぎない考え方に捉えられて、次なる世界が送ってくれるサインを見落としてしまっている」(p.93)ことを示唆しています。
一人一人の体験は当事者である本人にしか意識できないものですが、自らが意識的にその体験を再構築しようとするとき、その一人一人の無意識の領域に蓄積された記憶を無意識に読み込んでいるのかもしれません。
その行為が共感や尊重といった感情を生み出したとき、ひょっとしたら自らの心のなかで永遠の随伴者と出逢えるような気がします。
初稿 2021/5/30
写真 日の出づる方に向かふ国
撮影 1998/08/13(宮崎・日向灘)