「徒然なるままに、日ぐらし、硯に向かひて、心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」(徒然草)
あまりにも有名な文章の一つかもしれませんが、小林秀雄は、「無常という事」のなかでこう記しています。
「心が紛れるどころか、眼が冴えかえって、いよいよ物が見えすぎ、物がわかりすぎる辛さを、『あやしうこそ物狂ほしけれ』と言ったのである」(「徒然草」69頁, 小林秀雄, 1942.)
言葉は、自分が思いついたことを記すのではなく、ありのままの自分があるがままに記すとき、言葉が私に何かを語らしめるのかもしれません。
初稿 2013/11/28
校正 2022/05/08
写真 空城山公園
撮影 2010/11/21(広島・府中)
あまりにも有名な文章の一つかもしれませんが、小林秀雄は、「無常という事」のなかでこう記しています。
「心が紛れるどころか、眼が冴えかえって、いよいよ物が見えすぎ、物がわかりすぎる辛さを、『あやしうこそ物狂ほしけれ』と言ったのである」(「徒然草」69頁, 小林秀雄, 1942.)
言葉は、自分が思いついたことを記すのではなく、ありのままの自分があるがままに記すとき、言葉が私に何かを語らしめるのかもしれません。
初稿 2013/11/28
校正 2022/05/08
写真 空城山公園
撮影 2010/11/21(広島・府中)