漆黒に浮かびあがる青いターバンを巻いた少女、北欧のモナリザとも称されるフェルメールの作品「真珠の首飾りの少女」
多くの人が一度は見たことがあるオランダ・フランドル絵画の至宝、眩しい光によって生みだされた漆黒の影のおかげで観る人の視線が少女に注がれるものの、不思議なほどに表情のディテールが判るようには視点が合うような気がしないのが印象的です。
ただ、漆黒の影によって少女がどこで何をしようとしているのか、その置かれた環境や状況が解き明かされないために、振り向いた瞬間の次に続く動作が笑みを投げかけようとしているのか、何かを語りかけようとしているのか観る人自らで想像を膨らませる他がないのが特徴的です。
ただ、絵画を通じて光が網膜に投影した瞬間の感覚や知覚そのものは言語による認識や解釈が介在しないイメージとして潜在的な無意識の領域に蓄積されるような気がします。
初稿 2014/02/27
校正 2020/11/28
写真「マウリッツハイス美術館展」図録
期間 2012/06/30~2012/09/17(東京都美術館)
多くの人が一度は見たことがあるオランダ・フランドル絵画の至宝、眩しい光によって生みだされた漆黒の影のおかげで観る人の視線が少女に注がれるものの、不思議なほどに表情のディテールが判るようには視点が合うような気がしないのが印象的です。
ただ、漆黒の影によって少女がどこで何をしようとしているのか、その置かれた環境や状況が解き明かされないために、振り向いた瞬間の次に続く動作が笑みを投げかけようとしているのか、何かを語りかけようとしているのか観る人自らで想像を膨らませる他がないのが特徴的です。
ただ、絵画を通じて光が網膜に投影した瞬間の感覚や知覚そのものは言語による認識や解釈が介在しないイメージとして潜在的な無意識の領域に蓄積されるような気がします。
初稿 2014/02/27
校正 2020/11/28
写真「マウリッツハイス美術館展」図録
期間 2012/06/30~2012/09/17(東京都美術館)