建築会社に勤める高校の旧友が、東京に住んでいる時に一度は見てみては、と薦めてくれたカテドラル関口教会 聖マリア大聖堂。ちょうど結婚式が執り行われていましたが、見学は自由でしたので神父のお話を聴くことができました。
これまで競争環境のなかを生き抜いて、「私」という個性や能力を磨いてきたと思います。目の前の事を一生懸命にこなし、周囲の期待に応え続けることで、周囲の目を察することに長けている割には、自らの気持ちや感情は二の次になっていませんか。
主は唯御一人であるにも関わらず、「私たち」と常に仰せになります。相手の気持ちや感情を受け止め、共に分かち合おうと働きかけた時にこそ「私たち」になるのではないでしょうか。
だから、これから一緒に苦労したり悩んだりする時には、「大丈夫だよ」という言葉をかけてみてください。「私」では解けなかった問題であっても、「私たち」には解けない問題はありません。
壮大な大聖堂にひっそりと佇む聖母子像を眺めていると、キリストの亡骸を抱く聖母マリアの姿からは、「大丈夫だよ」という言葉をかけているような気がします。
初稿 2018/11/17
校正 2020/09/24
写真 聖母子像(ピエタ※)
撮影 2018/11/17(東京・聖マリア大聖堂)
※息子を哀しみ抱く母(サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロ作の原寸大のレプリカ)
これまで競争環境のなかを生き抜いて、「私」という個性や能力を磨いてきたと思います。目の前の事を一生懸命にこなし、周囲の期待に応え続けることで、周囲の目を察することに長けている割には、自らの気持ちや感情は二の次になっていませんか。
主は唯御一人であるにも関わらず、「私たち」と常に仰せになります。相手の気持ちや感情を受け止め、共に分かち合おうと働きかけた時にこそ「私たち」になるのではないでしょうか。
だから、これから一緒に苦労したり悩んだりする時には、「大丈夫だよ」という言葉をかけてみてください。「私」では解けなかった問題であっても、「私たち」には解けない問題はありません。
壮大な大聖堂にひっそりと佇む聖母子像を眺めていると、キリストの亡骸を抱く聖母マリアの姿からは、「大丈夫だよ」という言葉をかけているような気がします。
初稿 2018/11/17
校正 2020/09/24
写真 聖母子像(ピエタ※)
撮影 2018/11/17(東京・聖マリア大聖堂)
※息子を哀しみ抱く母(サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロ作の原寸大のレプリカ)
東京国立博物館と東京藝術大学の傍に佇むスクラッチタイルに彩られた昭和初期の建築。その特別室には年に三度だけ、日本近代における代表的な洋画家・黒田清輝の「湖畔」「知・感・情」「舞妓」「読書」といった代表作が観賞できます。
スケッチとは、視覚によって認識した事象を写し撮ることに他ならず、絵画とは、作者の経験や価値観、そして抽象的な概念を観賞する人の意識に再構成することなのかもしれません。
ひょっとしたら、観賞する人が再構成された作者の意図を少しだけでも感じるとき、自らの意識のなかで何かを変える契機をもたらすような気がします。
ふと、近代美術館のガイドさんが言っていたことを思い出します。「芸術にとって美しさは大きな要素かもしれませんが、ご自身が視たものとの関わりかたがARTなんだと思います」
初稿 2018/11/04
校正 2020/09/25
写真 「黒田記念館」 岡田信一郎, 1928.
期間 2018/10/30~2018/11/11
(東京・黒田記念館 特別室 展示)
スケッチとは、視覚によって認識した事象を写し撮ることに他ならず、絵画とは、作者の経験や価値観、そして抽象的な概念を観賞する人の意識に再構成することなのかもしれません。
ひょっとしたら、観賞する人が再構成された作者の意図を少しだけでも感じるとき、自らの意識のなかで何かを変える契機をもたらすような気がします。
ふと、近代美術館のガイドさんが言っていたことを思い出します。「芸術にとって美しさは大きな要素かもしれませんが、ご自身が視たものとの関わりかたがARTなんだと思います」
初稿 2018/11/04
校正 2020/09/25
写真 「黒田記念館」 岡田信一郎, 1928.
期間 2018/10/30~2018/11/11
(東京・黒田記念館 特別室 展示)