Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

α27C「ミシェル」朝倉響子, 1993.

2023-04-29 | Exhibition Reviews
 なにやら思いあぐねたあげく※、ようやくなにかを決めようとした瞬間なのかもしれません。

 でも、ほんの少しだけ緊張を解いた両脚とは裏腹に、その唇にはなぜかしらちょっと心配そうな雰囲気を醸しだしています。

 "ねぇ、どう思う?これで、いいのかな?"

そう問いかけようとしても、眼前には聞いてくれる人が存在していません。

 でも、もしかしたら、凛と伸ばした「ミシェル」の右腕の先には、〈わたし〉の話をしっかりと聞いてくれる〈あなた〉が、きっといるような気がします。

初稿 2023/04/29
写真「ミシェル」朝倉響子, 1993.
撮影 2023/01/15(埼玉・川口リリアパーク)
注釈 ※)α26C「セーラ」, 1999.

α26C「セーラ」朝倉響子, 1999.

2023-04-21 | Exhibition Reviews
 細長い指を絡ませながら、なにやら逡巡しているのか、はたまた見えない糸を使ってあやとりをしているかのような印象も受けます。

 でも、彼女の視線は自らの指先を凝視しながらも、両足のつま先に力を入れながら踵をあげている姿からは、どことなく不安感と緊張感もが入り混じっているかのようです。

 ところで、"いづれの道を進むべきか?"、そう問うているかもしれないと思うからこそ、ひょっとしたら見えない糸を使ったあやとりを連想させてくれるのかもしれません。

 進むべき道は険しいかもしれませんが、何かに挑もうとするときに、地に足をつけてどんな靴を用意すべきか?その姿からはなぜかしら、そんな解決の糸口を見出そうとしているような気がします。

初稿 2023/04/21
写真「セーラ」朝倉響子, 1999.
撮影 2023/01/22(千葉・佐倉ミレニアムセンタ)

§166「二重人格」ドストエフスキー, 1846.

2023-04-15 | Book Reviews
 ドストエフスキーが著した二作目の小説は、デビュー作である「貧しき人々」が好評を博したのに比べてその評価は芳しくなかったと言われています。

 そのデビュー作と似たような設定ですが※、昇進か望むべくもないとはいえ、周囲からの評価を過敏に反応してしまう独り身の中年官吏である〈わたし〉ともう一人の〈わたし〉との物語です。 

「それまで鏡だとばかり思っていたドアのところに、いつかと同じように、彼が立ち現れたのである」(p.282)

 そこにあるそれをそうであると思うことは、それをそこにあらしめているということに他ならず、鏡に映った自らの姿に自らの劣等感や妬みを投影させているような気がします。

 ひょっとしたら、自らの劣等感や妬みが〈わたし〉を凌駕するとき、もう一人のあるがままの〈わたし〉が、然るべき〈わたし〉として歩き出そうとする覚悟と別離を阻もうとしていたのかもしれません。

初稿 2023/04/15
写真「マリとキャシー」朝倉響子, 1989.
撮影 2023/01/22(千葉・佐倉)
注釈 ※)§165「貧しき人びと」, 1846.

♪58「かけがえのない世界」

2023-04-08 | Season's Greeting
 高校卒業後、故郷の佐賀を離れて約三十年になりますが、昨年十月の同窓会で帰郷したのを契機に、この春引越しました。

 年老いた両親を観ていると、これまでもこれからも変わらない二人だけの〈世界〉が在ってほしいと思う一方で、誰しも生まれたからには死は免れぬものだからこそ、その一瞬一瞬の二人の〈世界〉のありようを妨げることなく、その傍らに居たいと思いました。

 コロナ禍によってリモートワークが定着してきた現在だからこそできたのかもしれませんが、それよりもまして妻と子供達の理解があってこそだと思います。

 年老いた両親や妻と子供達それぞれの〈世界〉はそれぞれにかけがえのない〈世界〉であっても、それらはいつかきっとどこかで交わるのかもしれません。

初稿 2023/04/08
写真 県庁前の御濠端にて
撮影 2023/04/01(佐賀)

#78「かけがえのない雛祭り」

2023-04-01 | Liner Notes
 高校卒業後、故郷の佐賀を離れて約三十年になりますが、昨年十月の同窓会で帰郷した折の年老いた両親とのひととき。

 将棋の対局はいつも一勝一敗、なぜか勝ち越せないのは、もしかしたら年老いた父がわざと勝たせてくれているだけなのかもしれません。

 そんな父の世話を焼く年老いた母を観ていると、これまでもこれからも変わらない二人だけの〈世界〉が在るような気がします。

 ところで、誰しも生まれたからには死は免れぬものだからこそ、その一瞬一瞬の二人の〈世界〉のありようを留めようとしているもののひとつが雛祭りのような気もします。

 ひょっとしたら、お内裏さまとお雛さまの傍らに控える三人官女と御台人形もまた、両親の傍らに戯れる子供たちとの〈世界〉のひとつなのかもしれません。

初稿 2023/03/31
写真「鍋島家の雛祭り」
撮影 2023/02/22(佐賀◦徴古館)