小林秀雄は「実朝」のなかで約八百年前に生きた鎌倉右大臣についてこう記しています。
「あたかも短命を予知したような一瞬言い難い彼の歌の調に耳を澄ましていれば、実は事たりるのだから」(p.104)
そして、数ある歌のなかから幾つかを挙げたなかの一句。
「吹く風の 涼しくもあるか おのづから 山の蝉鳴きて 秋は来にけり」(p.112)
瞳に映る光景や肌で感じる涼しさなど、それらはそこに在るとはいえ、それらがなんであるのかと問いかけようとする瞬間、言葉によって選ばれるべき「意味」があらかじめそこに在るのかもしれません。
歌は、語る人にとっては限り無い言葉のなかから"自ずから"分かれた言葉で物語る「世界」の在りようのひとつかもしれず、時を超えて読む人自らにとってもまたそうなのかもしれません。
ひょっとしたら、"おのづから"とは、"自ずから"を意味し、限り無い言葉のなかから"自ずから"分かれた「世界」を、語る人と読む人に物語るのかもしれません。
初稿 2022/11/26
出典 小林秀雄, 1954.『無常ということ』新潮文庫, pp.87-115.
写真 自ずから秋は来にけり
撮影 2022/11/19(東京・高尾山)
「あたかも短命を予知したような一瞬言い難い彼の歌の調に耳を澄ましていれば、実は事たりるのだから」(p.104)
そして、数ある歌のなかから幾つかを挙げたなかの一句。
「吹く風の 涼しくもあるか おのづから 山の蝉鳴きて 秋は来にけり」(p.112)
瞳に映る光景や肌で感じる涼しさなど、それらはそこに在るとはいえ、それらがなんであるのかと問いかけようとする瞬間、言葉によって選ばれるべき「意味」があらかじめそこに在るのかもしれません。
歌は、語る人にとっては限り無い言葉のなかから"自ずから"分かれた言葉で物語る「世界」の在りようのひとつかもしれず、時を超えて読む人自らにとってもまたそうなのかもしれません。
ひょっとしたら、"おのづから"とは、"自ずから"を意味し、限り無い言葉のなかから"自ずから"分かれた「世界」を、語る人と読む人に物語るのかもしれません。
初稿 2022/11/26
出典 小林秀雄, 1954.『無常ということ』新潮文庫, pp.87-115.
写真 自ずから秋は来にけり
撮影 2022/11/19(東京・高尾山)