Liner Notes

観たこと、聴いたこと、読んだことを忘れないように印象に残った光景を栞として綴ってみました

∫32「京都駅ビル」 京都, 1994.

2016-08-26 | Architecture
 平安京遷都1,200年を機に竣工した新たなランドマーク。約560mもの日本最長のプラットホームと0~34番もの日本最大のホーム番号を擁し、毎日約67万人の乗降客を迎えるターミナルビル。

 ひょっとしたら、対称性は調和と秩序を示唆するのであれば、非対称は対立と均衡を示唆するのかもしれません。

 鉄骨を剥き出しにした「京都駅ビル」の構造美と鉄板を円筒に溶接した「京都タワー」の造形美はその非対称なイメージを印象づけるとともに、興廃の歴史をくぐり抜けて絶えず進化する京都のシンボルのような気がします。

初稿 2016/08/26
校正 2020/12/10
写真 烏丸中央口コンコース
撮影 2016/06/02(京都・京都駅ビル)

§52「国盗り物語」(織田信長) 司馬遼太郎, 1965.

2016-08-20 | Book Reviews
 古来は大和朝廷の東端(終わり)とも称され、木曾 揖斐 長良の三川がもたらす肥沃な穀倉地帯とその三川が織り成す水運を擁する尾張。

 交易品としての余剰な穀物が交易路としての水運により流通する過程において、情報や新技術等の伝搬速度も高かったことが、幾多の戦国大名を輩出した要因だったかもしれません。

 その契機は隣国 美濃を平定した斎藤道三にほかならず、彼の無神論と経済感覚を織田信長が継承したように思えてしまうのは、道三の娘 濃姫が信長に嫁いだことも踏まえると、何かしらの必然性を感じます。

 その必然性に加えて、信長の将たる所以は一人として参謀を置かず、常に自らが戦略を描き、能力至上主義に基づく人材登用、機能至上主義に基づく人材配置、成果至上主義に基づく信償必罰を例外なく徹底させたことに尽きるような気がします。

 「天下布武」という目的を必然的に達成する直前、明智光秀による本能寺の変の折、「是非もなし」と呟いたとされる信長にとって、戰には勝負という必然に、時として顕れる偶然は受け入れざる終えないことの暗喩だったのかも知れません。

初稿 2016/08/20
校正 2020/12/22
写真 信長公廊の傍らに佇む日蓮上人像
撮影 2016/08/18(京都・本能寺)

§51「国盗り物語」(斎藤道三) 司馬遼太郎, 1965.

2016-08-05 | Book Reviews
 京都 妙覚寺の僧侶 法蓮房、還俗した名は松波庄九郎。いつのまにか、油問屋の奈良屋に婿入りし、いつのまにやら、屋号を山崎屋として継承し、その主に納まり、国主になることを謀りし者。

 いつしか、美濃守護大名 土岐氏の家臣として、西村勘九郎正利を経て長井新九郎規秀と称し、ひいては、美濃守護代 斎藤新九郎利政に至る。

 美濃守護大名の座を虎視眈々と狙い、射止めた彼の行動原理は、京都 妙覚寺の僧侶時代に逆説的に得た無神論と神仏なき世における集合的無意識を制御しうるのは利害関係と損得勘定に他ならないことなのかも知れません。

 中世の荘園体制下に経済原理を導入し、下克上の先駆けとして美濃を平定した斎藤道三。彼もまた逐われることになりしが、彼の娘 濃姫が嫁いだ織田信長が、天下布武を掲げて戦国の世を平定していく姿には、将たる者にすべからく必要な資質と能力が継承・進化していく過程が刻まれているような気がします。

初稿 2016/08/05
校正 2021/09/19
写真 国破れて山河あり 城春にして草木深し
撮影 2016/04/30(兵庫・竹田城)